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母の乳がん

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闘病記

数年前、母が乳がんで手術をしました。
片方の乳房の全摘出を行いましたが、今は元気で旅行やスポーツに励んでいます。

私は現在30代前半で、母が病気になったのは私が20代半ばの時でした。
母は当時50代中盤。
父と二人暮らしでした。
私は県外で一人暮らしをしていたため、母の病気がわかったのは手術が決まった頃でした。

仕事が終わった平日の夜、直接母から電話で病気のことを聞きました。
乳がんと診断されたこと、手術のため入院を近々すること。
その時、仕事に忙しくあまり実家に帰っていなかったことを後悔しました。

定期的な健康診断で、わかったようなのですが、母の家系はもともと乳がんの家系でした。
母の姉も数年後に乳がんで入院をしています。
別の姉も乳がんを患っていました。

ただ、そのときの母の口調は明るく、悲観的な言い方ではありませんでした。
あまり心配はないような言い方をしていました。
乳がん、手術ということで娘のほうが不安に感じてしまいましたが、あまり本人は気負っていないようで、少し安心かも。。。と思ったのを覚えています。

当時、母は介護の仕事をしていましたが会社に事情を伝え長期お休みを頂いていました。
職員の人数が多い介護施設だったことも幸いして、すぐにお休みに入り入院準備に入院準備を始めることができたそうです。

手術については乳房を残すか、全摘出をするかの提案をされたようですが、母はわりと迷わずに全摘出を選びました。
もう年なので、とくに乳房について未練はないとのことでした。
それだったら、がんの可能性を残すよりとってしまったほうが良いという考えだったようです。

母と話して、強がりではなく本当にそう思っているんだなというのが伝わってきました。
休みの日にお見舞いに行くようにしていましたが、あまり気を使わなくてもよいと言われました。
父に荷物を持ってきてもらっているし、母の姉がよくきてくれるからと。

いつもお見舞いにいくと、思いつめた様子もなく読書や同室の患者さんと話す母を見て心強くもあり、なんだか拍子抜けしてしまった気持ちもありました。
そんな母が手術前日に泣いていたのを看護師さんに見られて、心配されたと後日話していました。

母もやはり心配だったのか・・・と思ったのですが、同じ頃容態を悪くしていた愛犬が心配で泣いていたようです。
母は自分のことより、愛犬の心配もあり気が良い意味でそれていたのかもしれないとおもいました。

手術前後には母の姉が付き添ってくれ、摘出した乳房を医師より見せてもらったそうです。
その話を聞いたときは、そこまでするんだ!とおどろきました。
親族の摘出した乳房を見るのは、勇気がいるなぁと感じました。
私にとっては叔母にあたるのですが、叔母はその時のことを
裏返しにされて見せられて、本当にびっくりした
と話しています。

母も叔母もこの件で、なんだかたくましい女性だなぁと改めて痛感しました。

当時はお金のことの心配までは気が回らなく、後から聞いた話だったのですが、費用はすべて保険でまかなったとのことでした。
ずっとがん保険に入っており、お金に関しては一切困ることはなかったということです。
仕組みはよくわからないのですが、少しお金が戻ってきたとも言っていました。

このことにより、母は私にも若いからと言って検診に行かないなどはないように、とくにうちの家系は乳がん家系なのだから乳がん検診に行くようにというようになりました。
また、保険もよく選んで入ったほうがいいということも言うようになりました。
すべてが母の実体験ですので、このことは私自身も身に染みて実行していこうと思っています。

その後は、定期検診にしばらく通っていましたが、異常なしということで経過は良好のようです。
専用の下着を買い、スポーツジムに行っています。
摘出した胸をみせてもらいましたが、思ったより痛々しさを感じさせない胸でした。

母の経験で感じたこととして、母は良い意味でも楽観的であまり暗く捉えずに闘病していたなぁと思います。
自分自身が同じ境遇になったときに同じように、できるかはわかりませんが、信頼できる周囲の人達と話しながら明るく入院生活を送っていたように感じます。
もちろん、娘の手前そのような姿は見せなかっただけかもしれません。

でも、信頼できる身内に話をしながら、なるべく明るい方向に考えていくことがとても大事なのかもしれないと思うようになりました。

うれしかったお見舞い品と理由

日用品の差し入れはうれしかったようです。
荷物は毎回父が持って行っていましたが、すぐに使えるタオルやウェットティッシュは使い勝手が良かったと言っていました。
年齢も年齢なので、おしゃれな食べ物はあまり。。。という風に言っていました。
ただ、お見舞いに来てくれるだけでもうれしいとは言っていました。
また、そのころに飼っていた犬の写真を撮って見せていたのが、一番喜んでいたように思います。
愛犬に長期間会えないことは、さみしかったようで無邪気な愛犬の様子が癒しになっていたようでした。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

ふりかけを持って行っていました。
定番ののりたま、ゴマ塩を持って行っていました。
病院食はやはりおいしくないとつぶやいていましたが、文句を言いながらも食べていました。

暇つぶしとしてやっていたこととその感想

母は高齢だったため、ゲームなどはせず、またその頃はタブレットも持っていませんでした。
人との交流が好きだった母は、大部屋だったこともあり、同年代の患者さんたちとよくおしゃべりをしていたようです。
退院後もしばらくは交流があったようで、患者さん同士の談話で時間を過ごしていたようでした。
経過などをメールで連絡をしあっていました。
また、本も数冊持って行っていました。
母は美輪さんが大好きだったため、美輪さんの本をもっていっていました。

本を読み、世間話をするという入院生活を送っていたようです。

役にたった便利グッズとその理由

長期入院ですと、体を清潔に保つことがどうしても気になるようでした。
皆さん、入院時にはもっていっている方も多いと思いますが、やはりウェットティッシュ、多めのタオル、ふきんは役に立ちました。
ウェットティッシュは筒形のものを持っていき、机の上にいつもおいてありました。
食べ物をこぼした時や、首回りの汗が気になるときには重宝していました。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

退院後は定期的な検診へ行っていました。
今はほぼ異常なしとうことで、週4日以上でスポーツジムへ行っています。
たまに帰ると、健康的に痩せた母の姿がとてもうれしく思っています。
仕事も辞め、近所の人たちの手伝いをしながら、スポーツジムへ行くという毎日を送っているようです。
父とたまに行く国内旅行が楽しみだと行っており、年に3回くらい車や電車で旅行しています。
おいしいものを食べれることがとても楽しみだと話しています。

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