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脳出血になったが、社会復帰した父

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闘病記

・ 自営業でステッカーやライトを使った看板を作ったりする小さな会社を経営していた父でしたが、42歳の時に脳出血になりました。
私達家族は、父の会社の経理をしていた母と当時22歳で看護師1年目の私、まだ学生の20歳になる妹と住んでいました。

・夏祭りでだんじり祭りの練習に毎日出かけていた父でしたが、練習後の飲み会へ行き帰りがとても遅くなっていました。
いつも遅い時は連絡をくれるのに、連絡が来ず母と待っていたのですが、だんじり仲間から連絡があり父が飲み会の帰りに倒れたとの事。
そのまま運ばれた病院へ母と急いで向かったのですが、そこで先生に言われた診断名が「右被殻の脳出血」でした。
先生からは、高次脳機能障害が残るかもしれない事、手足の麻痺も残る可能性が高い事が伝えられました。
母と私は父に会いに病室まで行ったのですが、集中治療室に居た父は、意識が朦朧としていて話せる状態ではなく、食事もトロミをつけたお粥や刻んだ物。
こんな状態ではもう会社を続ける事は出来ないのではないか、一緒に暮らす事も難しく寝たきりになってしまうのではないかと思いました。

・父の仕事は自営業だったので母が父の代理を行っていました。
元々行なっていた経理と代表代理をしていたので母の負担は大きかったと思いますが、お陰で収入面は殆ど変わりありませんでした。
そして、保険にも加入していたので合計400万円程支払われたので、そのお金で住宅改修や治療費や、入院費に当てる事が出来ました。

・治療にどれだけ日がかかるのか、父は仕事に復帰できるのかは分からなかったので、母が会社を経営していく事も視野に入れながら治療を続けていく事にしました。

・点滴での治療を集中治療室で行った後に、院内でのリハビリが始まりました。
今後の主な治療はリハビリになっていくそうで、父の年齢的にも比較的良くなりやすいとの事。
ですが、脳梗塞のリハビリは発症して3〜4ヶ月が勝負だそうで、この期間の間にどれだけ良くなれるかが大切との話がありました。
なので、父が積極的にリハビリが受けられるように、リハビリテーション病院へ転院する事になりました。
転院する時には、食事の形態も少しづつ形のある物に変わり、話せるようになっていて本当に安心したのを覚えています。
入院したら初日は、手足が全く動かず、口元も動かしにくいみたいで、しっかり形のある食事も取れず、話す事も少なかったので、この短期間でこれだけ良くなったのであれば、今後もリハビリを頑張れば良くなるのではないかと私達家族は希望を持つ事が出来ました。
その後も父はリハビリテーション病院でも毎日3〜4回のリハビリを行い、麻痺側には痛みもありましたが少しづつ動きが良くなっていきました。
食べる事が大好きだった父は、形のある物が食べたい。と話していて言語聴覚士さんとのリハビリも頑張っていましたし、私達家族へ食事の指導などもありました。
運動面では、装具をつけた歩行訓練から始まり、1ヶ月もたたない内に杖だけでの歩行が可能となっていましたし、動かなかった手も、大きなボールくらいなら掴めますし、指先の動きも良くなりつつありました。
毎日、夕方には私達家族は面会に行っていたのでこの回復過程を見ていたのですが、これだけ良くなっているのなら、仕事に本当に復帰出来るかもしれないと思えるようになっていたのです。
母は自分の経理の仕事の他に、父の代わりの業務も行う事で、毎日疲れていましたが父が戻ってくるまでは頑張ると前向きな発言も増えていて、私と妹もその間は家事などを母の代わりに行うと決めていました。
私達家族は父が仕事に戻れる間だけしんどいけど頑張ろう、父も毎日リハビリや自主トレーニングも頑張っているので家族みんなで頑張ろうと話していました。

・リハビリテーション病院でのリハビリを3ヶ月行い、父は退院しました。
そして、会社へ復帰する事が出来たのです。
金銭面的には問題はなかったのですが、母と私達姉妹の負担が大きく減り、再び家族での生活がスタートしました。
父は手の軽い麻痺は残りましたが、通常食も食べられるようになりました。
外来でのリハビリを現在も続けていますし、少しづつですが今も良くなっているように感じます。

・脳出血は、脳卒中の中でも比較的良くなりやすい病気です。
動かない手足に絶望すると思いますが、リハビリを頑張れば元通りとはいきませんでしたが、良くなります。
病気になった本人だけでなく、家族みんなで頑張り、サポートしてあげる事が大切だと学びました。
始めの数ヶ月が頑張り所なので、家族も苦しいですが前を向いて頑張ってみて下さい。

うれしかったお見舞い品と理由

父の会社の方からパジャマを貰いました。
入院中は毎日使うものですし、良いパジャマを持っていなかったので重宝しました。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

プリンやゼリーなどは、良い飲み込みのリハビリの練習になりました。
口の動きも悪く、お粥やババロア等と普通のおかずを交互で食べるように指導されてたので、口の中で崩れやすい物は食べやすかったみたいです。

暇つぶしとしてやっていたこととその感想

ロジックやクロスワード、ナンプレなどの頭を使うパズルを行なっていました。
これは、暇つぶしにもなりますし、頭の体操にもなるので脳出血で軽度の高次脳機能障害がある父にはぴったりでした。

やり始めた頃は疲れやすく、短時間しか出来ないと言っていましたが慣れてくると1時間くらいは継続して行えていたそうです。

役にたった便利グッズとその理由

洗濯バサミ
指先のリハビリとして、反復して挟んだりしていましたし、自分の着ている服に付けたり外したりする事で、腕全体のリハビリにも繋がると教えてもらいました。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

病気になる前より家族との時間が増え、父と外出する機会が増えました。
今では、毎年行くようになった家族旅行が家族皆の楽しみとなっています。
家族と過ごす時間が有限である事を今回の病気で知り、家族の大切さを学びました。

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