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ちゃんと検査をしていれば、助かった(肝臓がん)

闘病記

闘病生活が必要になったのは、肝臓がんになった義理の母です。
始まりはB型肝炎で、それが悪化して最終的に肝臓がんになりました。B型肝炎を発症したのは45歳ごろですが、B型肝炎ウイルスというのは何十年かたってから徐々に体に症状が出始めるため、B型肝炎になった具体的な日付けは不明で、治療し始めたのが45歳ごろということになります。

同居だったので家族構成は義父、義母、夫、私になります。
もともと義父と義母でこじんまりと自営業をしている状況で、私と夫は会社員でしたが、義母の治療、入院を機に自営業はやめ、義父は警備員として働き始めました。

病気が判明したのは、なかなか熱が下がらなかったことです。以前から体の疲れがたまりやすく、すぐに疲れていたようですが自営業で夜遅くまで仕事をすることがほとんどだったので、その影響だと思っていたようです。ですが近所のクリニックで風邪だと言われたものの熱が下がらず、一度総合病院での検査を勧められたところ、検査の結果B型肝炎が判明しました。すでにかなり進行した状態で、助かる方法は移植手術しかなく、薬と治療で進行を遅らせることしかできないといわれました。そして半年ほど入院しましたが、退院してからもお腹に水がたまるし、ひたすら寝ていなければいけないのと、好きなものは食べられないという食事制限、その他適度な運動はしなければいけないと、本人にとっては楽しみもないような生活が始まり、つらかったようです。

早期発見であれば治る病気であるB型肝炎ですが、耐えられなくなるまで放置していたせいで、入院、治療、通院、手術と費用も大変でした。B型肝炎が発覚してから最終的に肝臓がんにまで進行するまでに10年くらいだったでしょうか。費用は大変でしたが当初の診断よりは長く生きられたとは思います。お金に関しては、義理の親は生命保険にも加入しておらず、貯金もまったくない状態だったので私たち夫婦が最初の入院費などは負担してあげました。その後の治療費、手術費などは高額医療制度を利用し、月に7万円ほど支払っただけですが、それでも義父の収入だけでは無理だったので、毎月足りない収入は私たちで負担しました。

仕事は義父は警備員のアルバイト、主人も私も会社員だったので、私たちの仕事に支障はありませんでした。
治療は、自宅安静の時は薬とひたすら寝ていることが治療で、最終的には自宅で倒れ、救急車で運ばれ、その後病院で手術したものの手の付けられない状態で、昏睡状態のような形でなくなりましたが、本人は苦しい事ばかりだったので、最後はもうこれで苦しみから逃れられるといった気持だったのではないかと感じます。最後は病院のベットでもう話せない状態でしたが、義父が「もう、いいよな?」と声をかけると軽く震えるようにうなずいていました。

最終的にはなくなってしまって、また苦しい最後ではありましたが、発見が遅かったのに今は良い治療と薬があるおかげで長く生きられたと担当医師は言っていました。そしてB型肝炎は適切な治療をすれば治るので、やはり体調が悪いのに放置せず検査に行くことが大事なのだとわかりました。

B型肝炎ウイルスは何十年か体内に潜んでいて、症状が出るのは後からなのでなかなか気が付かないですが、たとえ発覚しても早い段階であれば治る治療薬があるのであきらめないことが大事です。義母の場合、母子感染だったのか昔の予防接種での注射器の使いまわしか、もしくは出産した時の輸血が原因かわからなかったのですが、疑いがあるのであれば、感染していないか検査してみるのもおすすめです。ちなみに、主人とその兄弟は感染していなかったので、出産時の輸血が感染の原因ではないのかとおm恋っています。

うれしかったお見舞い品と理由

B型肝炎から肝臓がんで入院した時は食べられなかったので、お花など鑑賞するものが嬉しかったと思います。

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