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命に限りがあることを実感した瞬間(乳がん)

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闘病記

49歳を目前にした時に、左側の胸に違和感を感じるようになりました。
きっと更年期だろうと思っていましたが、そのうちに朝仕事に行こうとすると体がだるく起き上がれないと感じる日が増えて来ました。
しかし、これも年齢的に年を取って体力が無くなったんだろうと思っていました。
ちょうど、その頃テレビで有名人が乳がんになったことを公表するのが続き、もしかして自分もという思いが芽生えて来ました。
それから、ネットで乳がんについて調べたり実際に乳がんになった人の体験談を読むと自分と同じような症状が書かれておりさらに不安になりました。
不安が大きくなり、こんなに不安なら乳がん検診を受けてみるしか不安を消す方法をないと思いました。
しかし、乳がん検診を受ける人がその時に多く私は3週間先にしか予約が取れませんでした。
3週間の間は、頭の中で不安がどんどん大きくなって行きもう自分はガンなんだという思いが強くなって行きました。
3週間後の乳がん検診の日に、マンモグラフィーを終えてエコー検査を受けている時に胸の気になっている所でエコーを持つ先生の手が止まりました。
その瞬間に、やっぱりという思いが自分の中で大きくなりました。
その日の診断は、乳腺外科の専門医の診察を受けるように言われ乳腺外科の予約をして帰りました。
再検査の日、専門医の先生がエコー検査をしてくれやはり気になる場所で手が止まり、すぐに細胞を取るねと3箇所から細胞を取られました。
その時に、先生からはガンの可能性があることを告げられました。
細胞の検査の結果は、携帯電話に連絡するからと言われ病院を後にしました。
それから数日後、携帯に電話が掛かって来てご家族と一緒に病院に来て欲しいと言われ、何とか「はい」と返事だけしました。
しかし、電話を持った手が震えてその震えが1時間近く止まらず初めて「死」の恐怖を感じました。
指定された日に、夫と病院に行くと先生からは進行性乳がんであると告げられ、治療としては手術して放射線治療を考えていると言われました。
自分ではもうガンだと覚悟していましたが、目の前で話している先生の言葉が、まるで遠くで話しているように感じてわけが分かりませんでした。
ガンの告示をされた後に、すぐに手術の日程が組まれて入院することになりました。

▶︎仕事とお金のこと
いざガンと言われると、その時には子供が大学に通っており自分も働いていたので仕事をどうしようとか、治療費をどうしょうとか仕事とお金のことが不安になりました。

結局、仕事は続けることが出来ず辞めることになってしまい、ガンの治療費はガン保険に加入しておりガンと診断されたら100万円おりる保険に加入していたので手術費や、入院費、放射線治療などのお金は保険からすべて賄うことが出来ました。

保険に入っていなかったら、どの治療も高額でどうしていただろうと思います。
この頃は、ガンと言われ子供の今後ばかり不安に感じていましたが、子供の方がしっかりとしており私に不安な顔は全く見せませんでした。
ガンの性質も抗がん剤を使わないでいいタイプだったので、手術と放射線治療だけですみ金銭的もとても助かりました。
先生からもお金の掛からないタイプのガンで良かったと言われその点では、とてもラッキーだったと思っています。
今はガンと言われて2年経ち、ホルモン治療と定期的な再発していないかの検査を行っています。
ガンと言われた時には、何も考えられませんでしたが2年経ち今は前向きに生きていることの喜びを感じることが出来るようになりました。
大学生の子供も、奨学金で無事に学校を卒業することが出来ましたし、ガンの治療はガン保険に入っていたおかげで治療をしっかりと受ける事が出来て助かりました。

うれしかったお見舞い品と理由

この時にお見舞いで一番嬉しかったのは、やはり現金でお金の不安があったので現金をお見舞いでもらうと助かりました。

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