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脳梗塞を発症しても、それでも毎日楽しく生きています

闘病記

私が35歳の時に、脳梗塞で倒れて生死の境をさまよいました。
もともと自営業で日本芸術を紹介する仕事をしていました。そのため勤務場所は自宅でした。
当時はまだ結婚していなかったので、実家で暮らしていました。婚約者とは休みの日に会うようにしていました。
倒れた時は、数日前から頭痛がしていて、なんとなく体調が悪いと感じていました。それが脳梗塞の予兆だったのか、全く関係なかったのかはわかりません。

ある日の昼食の後、突然激しい頭痛を吐き気に襲われて、食べたものを吐いてしまいました。そしてそのまま意識がなくなってしまいました。
後から聞いた話ですが、自宅にいた祖母が救急車を呼んでくれて、少し離れた大学病院まで搬送されたそうです。
最初の数週間は、全く意識が戻らなくて、自分でも何も覚えていません。病院での説明によると、かなり出血していて脳内で血が溜まっている、危篤の状態だという事でした。

ともかく手術をしてみるしかないという事で、手術をして一命をとりとめたのですが、自分自身では何も覚えていないのです。
ある日ふと意識が戻った時に、目の前には婚約者の彼女がいました。そして「脳梗塞で倒れた、手術が終わった」という事を聞きました。
自分としてはその時驚いてはいたのですが、あまり実感がなかったような気がします。
命の危険にさらされていたのに「まあ、死ぬわけではない」と思っていたのを覚えています。要は、どれだけ危険な状態かを、説明を受けても実感として感じてなかったということなのでしょう。

しかし、脳梗塞の手術のあと、実は婚約者は手術を担当した先生から、水頭症の恐れがあることを説明されていました。
今は意識がはっきりしているけれど、これからだんだん混濁していくようなら、シャントを通して処置しなくてはならない、知能指数も下がる恐れがある、といわれていたそうです。
そして、本当に水頭症になり、シャントの手術を受けました。

倒れたのが11月で水頭症を発症したのが12月、次に意識がはっきりして会話ができるようになったのが、翌年の3月半ばでした。1月から3月まで、随分とお見舞いにも来てくれた人がいたようなのですが、全く覚えていません。そして婚約者が付き添っていたことも、まるで覚えていませんでした。

3月に意識がはっきりしてきたつもりでしたが、水頭症が原因で「高次脳機能障害」になってしまいました。今ではリハビリのおかげでずいぶんと良くなったところもありますが、短期記憶障害や左側が認識できずに、自分より左に置いてあるものに気が付かなかったりしました。例えばお菓子を差し入れてもらっても、それが自分の左側に置いてあったりすると全く気が付かなかったのです。

短期記憶障害は、最近のことを記憶できなくなるという、非常に不便なものでした。具体的には、自分の病室を覚えられず、一人でトイレに行った時など病室に戻ることができませんでした。それだけでなく、今どうして自分がここにいるのか、ここはいったいどこなのか、いつも分からなくなってしまいました。

また、左半身の麻痺が残ってしまいました。左手は肩までしか上がらず、左足はびっこを引くようになってしまいました。左手は、ちょっと誰かが触れたら痛みが走り、それで婚約者とは何回もけんかをしてしまいました。
しかし、高次脳機能障害の人の傾向らしいのですが、自分ではそれほど心配しておらず、まあそのうち出来るようになるだろうと楽観していました。婚約者の彼女の方がはるかに現実を直視していて、苦しかったと思います。

そんな自分を、婚約者の彼女は辛抱強く見守ってくれました。お見舞いにもよく訪れてくれて、そして時間がある時に麻痺がある左足をお湯につけてくれて、マッサージをしてくれました。マッサージの効果はわかりませんが、お風呂にあまり入れなかったので、すごく気持ちがよかったです。

最初に倒れたた時に運ばれて手術をした病院から、4月にはリハビリ専門の病院に転院しました。そして、最終的には脳梗塞で倒れてからちょうど一年後に自宅に帰りました。

▶︎お金と生活のこと

お金のことですが、手術をした時には、実家が出してくれていました。
婚約者はまだ結婚していなかったので、病院で手続きをする際にいろいろと面倒だったようです。しかし、実家では自分はどうもやっかいだったらしく、実家に帰った後は半年で実家を出て、彼女と結婚しました。彼女のほうから結婚を言い出してくれましたが、ロマンティックな理由ではなく、同じ籍だと病院での手続きが簡単だから、という非常に現実的な物でした。結婚式も新婚旅行もしておらず、彼女の御両親には申し訳ない限りです。
また、特に保険にも入っていなかったので、倒れてからは本当に無職になりました。
お金も貯金も全くありませんでした。その生活を支えて医療費を出してくれたのが、結婚して妻になった彼女です。妻が働くから生活保護は受けられないけれど、医療費の控除や障害年金を受け取る色々な手続きをやってくれたので、わずかながらですが毎月年金をもらえるようになりました。
また、小ラインを考えて妻は正社員で働き、自分を扶養に入れてくれました。そうすれば、万が一障害年金がもらえなくなっても厚生年金で生きていけるからと、自分の好きなフリーランスの仕事をやめてサラリーマンとして勤めるようになりました。
女性ですから、サラリーウーマンでしょうか。

自分が倒れてから、彼女はいろいろとシュミレーションしていたようで、着々と準備し、麻痺がある自分でも生活しやすいアパートを借りてくれました。
例えば、風呂場に手すりが付いているのですが、この手すりのおかげで何とか湯船につかることができるようになりました。風呂好きな自分としては、非常にうれしかったです。
我が家は、自分の病気が原因で子供は無理でしたが、夫婦仲良くやっています。
そして、妻の考えは「仮に自分がいなくなっても、しっかりと社会と繋がって毎日楽しく暮らしてほしい」というものです。妻がいなくなるというのは、病気や事故で死んでしまっても、ということです。

確かに妻は大切でずっと一緒にいたいですが、万が一の時があった時にも健やかに生きていけるように、あれこれと尽くしてくれています。そして周囲のリハビリ関係者やディサービスでも友達ができて、今の自分はとても幸せに暮らしています。悩みは、ちょっと来ず買いが少ないことくらいです。

▶︎アドバイス

脳梗塞で倒れてどうなるかと思いました。実際に麻痺も障害も残っています。でも、優しい家族と周りの人に支えられて、本当に楽しく暮らしています。妻は「自分がいなくてもあなたの生活は楽しい生活だから」と、よく繰り返し話しています。なので、同じ病にかかった人に言いたいです。絶望してしまわないで、必ず幸せな気持ちになる日がくるから!と。気持ちを楽にして、ゆっくりと病に向き合っていきましょう。そして、一緒に頑張りましょう。

うれしかったお見舞い品と理由

嬉しかったのは、テレビのカード券です。テレビを見るのに有料だったので、テレビカードを差し入れてもらうと、暇つぶしとなり嬉しかったです。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

ご飯にかけるふりかけ、これは重宝しました。妻が良くいくつかの種類を持参してくれました。昼と夜と、違うふりかけを楽しみました。

暇つぶしとしてやっていたこととその感想

マッサージです。マッサージは暇つぶしになりますし、体も気持ちがよい。そしてリハビリにも効果があるらしいという事で、暇さえあればやっていました。

役にたった便利グッズとその理由

ツボ押しグッズです。しかし病院の先生から、あまり強くやりすぎないようにといわれました。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

毎週、妻と外食に行きます。妻はちょっと高価なお店に行きたがりますが、自分は回転寿司が好きなので、一週間交代で好きな店をお互いチョイスします。この妻が自分に寄り添ってくれたおかげで、本当に生きていて良かったと思いました。今年の夏は花火も一緒にみました。

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