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闘病記
私が若年性パーキンソン病と診断されたのは30歳の時です。
同僚から「歩くときに靴がキュッってなっているよ」と言われたのが一番最初でした。
どういうことかというと、足が十分に上がっておらず靴と床が擦れるため音が出ていたようです。
最初は全く気にしていなかったのですが何となく右手が動かしにくいという症状も出始め大学病院を紹介され脳ドパミンシンチと心筋シンチという検査をし確定診断されました。
異変を感じ始めた日から2年、その間3、4件病院巡りをしても分からず、知りたくてしかたなっかた病名。
安堵と絶望がこんなにも綺麗に入り混じる感情があるんだと頭の中で考えつつ体は震えていました。
私たち夫婦は共に看護師です。
そのため「パーキンソン病」がどんな病気か大体想像ができました。
そんな主人から聞いた最初の言葉「大丈夫だから」
恐らく精一杯の言葉だったと思いますが気持ちに余裕がなかった私は「パーキンソン病だよ?」と冷たく言ってそっぽを向きました。
勝手に体は動くし、突進歩行だって…恥ずかしくて人前に出れない、家族の足手まといになる。
長女は小1、長男は年中まだまだお母さんが必要なのにパーキンソン病のお母さんで恥ずかしくない?
母としての自信も、妻としての自信も失っていました。
診断後数年は看護師として働くことができましたが徐々に薬の副作用であるジスキネジアやオン・オフという症状が出始め看護師としての限界を感じ退職することにしました。
同僚には伝えていましたがパーキンソン病の人を看護するのと、パーキンソン病の人と働くのはやはり違います。
同じ給料をもらっているのにオフが来るとできないことが一気に増えるという現実に申し訳なさを感じてしまいます。
パーキンソン病の難しいところはオンとオフではまるで人が違うと言うところではないでしょうか?
さっきまでできていたことが急にできなくなる、これを周囲の人が理解することは容易なことではありません。
退職後、気持ちは楽になったものの収入面での不安は大きくなりました。
当時の私はパーキンソン病と診断されたら障害者枠で仕事を探すことができると安易な考えを持っていました。
そのためハローワークで「障害者手帳を持っていなければ障害者枠では探せない。」と断られた時は目の前が真っ暗になりました。
(実際は手帳を持っていなくても病気を受け入れてくれる会社はあります。)
健常者でもなく障害者でもない私は一体どうやって生きていけばいいのだろうと悩んでいた矢先、第三子を妊娠していることがわかりました。
実は病気がわかる前、もう1人子どもが欲しいと思ってたため、妊娠がわかった瞬間は嬉しかったのですがその反面、育てられるの?と問いかける自分もいました。
堕ろすという選択肢はありませんでしたが、堕ろすべきなのかもしれないと思ったのは事実です。
何度も主人や実家の母、主治医、産科医と話し合い「産む」覚悟をしました。
妊娠中は薬の量を減らせなければならず臨月になると1人でお風呂に入ることが出来ない状態にまでなりました。
この歳で主人からお風呂に入れてもらう惨めさに涙したこともあります。
産後しばらくは訪問看護を利用しその後はアポカインを使うことにしました。
アポカインとは「今、動きたい」という時に使用する速効性のある注射です。
私の場合5〜15分程で効き始め30分〜1時間は効果があります。
アポカインが効いているうちが勝負でパーキンソン病とは思えない速さで家事をこなしていきました。
赤ちゃんとの生活にも慣れた頃、主人が「ブログ書いたら?若年性パーキンソン病は少ないでしょ?発信したら?」
と言ってきました。
あまり気が進まなかったものの誰かの役に立つのならと何となく始めることにしました。
そんなある日「毎日ブログ読んでます。私も若年性パーキンソン病です。支えられています。」
「本心が書かれていて共感します。」「周り若年性パーキンソン病の人がいないのでブログが支えになっています」
と言ったコメントをもらうようになりました。
こんな私のブログが誰かの役に立っている。
最初は気が進まなかったブログですが気付けば私自身が読者の方から支えられるようになっていました。
その中で気になったのが
「周りに若年性パーキンソン病の人がいない。」
ということです。
そこで私は自身で若年性パーキンソン病の会を開くことにしました。
ブログ、ツイッター、Facebookでお知らせをし第1回目の若年性パーキンソン病の会を開催しました。
若年性パーキンソン病の人は知られたくないという気持ちが強く周囲に話したことがないという人がほとんどでした。
そのためか会った瞬間から会の終了まで話が尽きませんでした。
参加してくれた人たちからは「同病の人と会えて嬉しい。開いてくれてありがとうございます。」という言葉をいただき意義のある会になったと思います。
パーキンソン病は私の体から永久的に自由を奪いましたがその分大切なことを教えてくれました。
それは時間には限りがあるということ。
当たり前のことですが一体何人の人がそれを意識し毎日過ごしているでしょうか?
私は健康な頃、したい事が沢山ありましたが「また今度」と言っていくつもせずに過ごしてきました。
しかしパーキンソン病になって時間には限りがある。
明日できるとは限らないと考えるようになり、毎日を後悔しないよう心掛け過ごすようになりました。
そのためパーキンソン病になる前より充実した日々を送っています。
毎日が楽しいと思えるようになりました。
パーキンソン病は難病ですが研究もどんどん進んでいます。
そしてある程度薬での調整が可能な疾患です。
病気を「受け入れられない」のは当然なので受け入れる必要はないと思います。
ただ共存していく方法を考えてみませんか?
泣いても笑っても一度きりの人生です。
一緒に「今」を乗り越えましょう。
▶︎若年性パーキンソン病3児の母、起業した旦那を支えつつ子育てに奮闘❗️ブログ
https://osamantha.hatenablog.com/
うれしかったお見舞い品と理由
パーキンソン病はまだ完治する病気ではありません。
そのため、もし周囲にパーキンソン病の人がいるのなら話を聞くことに徹してくれると嬉しいです。
「うん、うん」と聞いてくれるだけで気持ちは救われます。
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