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喉頭癌の闘病生活

闘病記

私の父が50歳の時に喉頭癌になりました。建築業の社長をしています。母親はパートで私が20歳の時です。

鼻血や血痰が出ていたので私と母親が病院の健康診断を受けることを進めました。父と二人で総合病院で内視鏡検査と生検をしてもらい検査をして喉頭癌が見つかりました。その時の父は下を向いたまま口を閉ざし肩がいつもよりも縮こまって見えました。駐車場へ行って母親に電話する時には涙を流しながら話していて、私は何という言葉かけてあげたらいいのかわからずただ隣にいて背中をさすることしかできませんでした。

一家の収入は父の給料でまかなっていました。高額医療費制度を使ったので通院や転院(2回)などトータルした金額が40万前後の請求でした。その時は母と私のお金も出し合い少しでもお金の心配をかけさせまいと必死になっていました。

父が従業員に喉頭癌について説明すると従業員の方と上の会社の方達からしっかり手術をしてゆっくり休んでほしいからその間は自分たちも頑張ってカバーしていきます。と言ってくれたので1年半は闘病生活に当てようと考えていましました。

父親の喉頭癌のステージⅣで抗がん剤では間に合わないと言うことで、気管切開を勧められました。しかし、先生もはじめは抗がん剤や放射線治療で様子をみようと話をしてくれました。1番辛かったのは気管切開後はご飯や飲み物を飲まないことと話ができないことが告げられた時には私も父もなんとも言えない気持ちになりました。母親は話を聞いる途中で涙を流しながら父はおもむろに生存率を聞いていましたが、生存率よりも余命が半年と告げられました。その時には家族全員で涙を流し先が真っ暗になりました。

その後まず放射線で何度か治療したものの癌自体に効果はなく放射線は断念しました。抗がん剤もほとんど効果がなくいよいよ残されたのが喉頭の全摘という手術でしたが、父は生きられるならと喉頭全摘手術を希望して手術を終えました。食事に関しては胃瘻を入れ自宅に帰りたいという以降もあり吸引カテーテルを使い自分で吸入して痰を出していました。口の中を湿らせる程度のことはできても水分を飲んだり食べ物を食べたりが出来なかったので、歯も全て抜け落ちてしまい話したいけれど話すことに対してもイライラして伝わらないことに怒りを感じていた日もありました。最初の頃は食事に対しても食べたい欲を抑えることが出来ず涙を流したい日が一ヶ月続きました。母や私、従業員の方達がお見舞いに行くことが増え父の笑顔も増え始めて私は少し安堵しました。そのあとは胃瘻も吸入も自分でし、何かあれば救急が呼べるようにと話し合いを重ねてサポートしていき余命宣告された半年を大いに上回る2年目に入りました。

今現在は入院していて癌の進行を抑えるというよりは痛みを和らげるというか疼痛緩和の方を重視して治療に励んでいます。今現状あの当時を考えるとかなり精神的にも辛いことばかりでしたが、父の病気が見つかり家族の絆がとても深くなりました。また、父に対しての考え方も変わりとても大切にしようと思えるようになりました。生きていることが当たり前という考えよりはまた一日を一緒に過ごせたと毎日が大切な記念日のような日になりました。闘病中は家族も闘病者も辛いです。でも私たちはただひたすら家族で笑う時間を多く過ごすことを重視して生活をしていたので、暗い気持ちよりも毎日笑い声が絶えない日々を過ごしていたので余命もガンにも少し作用したのかもしれないと担当の医者が言っていました。
現在深刻な持病を告げられた方や家族が闘病を抱えてこれから闘病生活を支えていく方は最初は落ち込み辛いばかりで現実が暗くなると思うますが、全て受け止めて先を家族でできることを一つずつ叶えて行くことが病と向き合えるきっかけになればと思います。

うれしかったお見舞い品と理由

嬉しかったの言われたのは家族の時間が許す限りお見舞いに行ったことだと言われました。
物は食べたり飲んだりできないので、せめて寂しくないようにと仕事前などの時間を使い病院へ通ったことが何よりも嬉しかったと紙に書いてくれました。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

食欲もなく最初は負担がない粥を食べていましたが、早い段階で気管切開になったのでほとんどは胃瘻での生活でした。

暇つぶしとしてやっていたこととその感想

自営業で外出届を出して家族で自宅で過ごすことも多かったです。
病室では本を読んでいたり、テレビを見ていることが多かったです。

役にたった便利グッズとその理由

ガーゼと口を拭くタオル、タオル関係はとても役に立ちました。
体を拭いたり、水を飲まない分乾燥がするので口の中を湿らせる目的でガーゼで口の中を拭いたりしていました。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

父がのまた笑顔を見ることが私の楽しみです。
生きていて良かったと思うことは闘病によって私の中で父親がこの人で良かったと思える一分一秒です。

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