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闘病生活を経て子どもながらに感じたこと(脳腫瘍グリオーマ)

プロフィール
お名前:ひのこ
出身地:九州
現在の年齢:26歳
あなたと患者さんの関係:本人
闘病時の年齢:10歳(小学校4年生)
病名:脳腫瘍グリオーマ

闘病記

私は今から16年前、当時10歳のときに脳腫瘍の「グリオーマ」であることが分かりました。当時自覚症状はなく、偶然小児科で母が低身長であることを相談したのをきっかけに脳腫瘍を見つけることができました。病気の発覚した時期は、父の転勤に合わせて転校してからわずか4ヶ月というタイミング。まだクラスにも馴染み切れていない時期でした。普通であれば病気のことで頭がいっぱいになるはずですが、小学校が世界の全てだった幼少期の私は、学校に通えなくなること・新しい友人たちにどう説明したらよいかについて悩んでいたことを今でも覚えています。

実際に入院をしたのは10歳の夏休み、まずは1週間の検査入院からでした。この時点では「明らかに小柄すぎる、病気ではないか」という疑いの段階で、採血やMRIなどの検査を繰り返していました。そして検査の結果、先ほどお話しした脳腫瘍が見つかり、9月から大学病院に入院して治療することが決まりました。

9月に入り、1日だけ学校に行った後、私の闘病生活は始まりました。まずは、検査入院のときと同じく採血やMRIやCTなどの検査が続きました。大学病院は設備がどれも大きいものばかりなため、怖さや不安を感じながら検査を受ける日々が続きました。特に、子どもの病というのは本人が病状や病気の深刻度を理解しきれていないので、周りの大人たちの対応や設備の雰囲気から現状を感じ取るしかなく、恐怖を覚えるのも無理はないと今になって思います。

しかし、病院での生活は、辛いものばかりではありませんでした。私は脳神経外科に入院していたのですが、自由に動ける状態だったこともあり、小児科の院内学級に通っていました。院内学級には小児がんや糖尿病などの子どもたちが10人前後いて、勉強やイベントごとなどを楽しめる環境だったため退屈することも憂鬱な気持ちになることもありませんでした。

その後冬のはじめごろに、抗がん剤治療が始まりました。抗がん剤による吐き気やだるさは、意外と子どもでも耐えられるものでした。しかし女の私は、子どもとは言え脱毛には耐えることができませんでした。当時の私は両親も驚くほどポジティブな性格でしたが、髪の毛がなくなってしまったときだけは、治療していた間で唯一涙を流してしまいました。当時の写真を見ると今でもつらい気持ちになりますし、この治療は本当に必要だったのか?と今でも考えてしまいます。

最終的に抗がん剤治療は効果がなく、年明けに開頭手術を行うことになりました。視床下部にある脳腫瘍をとるのは難しく、生検だけをするというものでした。額の右上から右耳あたりまで大きく開く手術。手術そのものはうまくいきましたが、術後の傷は痛々しく、16年経った今でも髪をかき上げると確認することができます。そんな子どもの私にとっては大きな手術でしたが、きちんと成果はありました。それは、「良性であること」と「このまま様子を見て問題なさそうであること」の2つです。

無理に治療する必要はないという結論に至った私は、半年前の自分にそっくりなウィッグをかぶり復学することができました。たった4ヶ月しか通っていないクラスのみんなは、私のことをちゃんと覚えてくれていて、ウィッグをかぶっていたりニット帽をかぶっていたりしても不思議な顔一つせず受け入れてくれました。その後も運動の制限や両親が過保護になってしまった部分はあったものの、健康な同級生たちと学校生活を送り、社会人になり、今独立して幸せな生活を送れています。

最後に同じ境遇の方、闘病中のお子さんをお持ちのお父さんお母さんへ。

病気の子どもというのは病気の大人に比べて、より可哀そうでより不自由そうでより痛々しく見えてしまうものです。それは、仕方のないことです。しかし、子ども自身はそれをきちんと感じ取っています。「私は可哀そうな人間なんだ」と。子どもにそう思わせてしまうことは、病気であること以上に不幸なことだと私は思います。少しでも強い心で病気で立ち向かうために、周りの大人はいつも通りに接してあげてください。また、「頑張って」という言葉はかけないであげてください。私は闘病していた当時、お見舞いに来る人たちの「頑張って」という言葉が一番苦手でした。「こんなに頑張って毎日を生きているのに、あと何を頑張れば救われるのだろう」と答えのない悩みで頭がいっぱいになってしまうんです。どうか、「頑張ってるね」と認めてあげてください。

そして闘病中の学生さんは、病気と向き合うことも大切ですが、毎日を楽しめる方法も探してみてください。当時の私の楽しみは、院内学級に通うことでした。普通とは違う見た目や体調不良も含めて当たり前に理解してくれる仲間がいることは、私にとって大きな心の支えでした。また、入院中は暇ほどつらいものはないので、勉強や遊びに集中できたのも自分にとって大きな存在だったと感じています。

うれしかったお見舞い品と、その理由

私が貰って嬉しかったものは、クラスメイトからの寄せ書きです。
転校したばかりで忘れられることの不安が大きかったので、名前を呼んでくれる仲間がいるというのが形としてわかるのは嬉しかったです。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

私がおかずとして用意しておいてよかったものは、ふりかけです。
私の病院食は普通食だったのですが、それでも子どもにとっては味が薄く食べられない(好みでない)ものが多かったため、ふりかけは重宝しました。

暇つぶしとしてやっていたことと、その感想

私が暇つぶしとしてやっていたのはパズルです。
外出許可が出た時に両親とパズルを買いに行き、退院する頃には1000ピースのパズルもできるようになっていました。

役にたった便利グッズと、その理由

抗がん剤と手術の影響で坊主の期間が長かったため、ニット帽とバンダナは欠かせませんでした。
ヘアアレンジができない分、ニット帽とバンダナをたくさん揃えて楽しんでいました。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

自由に生活をできることが、なによりも楽しく生きていてよかったと感じます。
闘病していた当時は学生ということもあり、1日や1ヶ月という短い時間ですら失うのが惜しかったのですが、大人になった今は1年・10年という長い時間でものを見れるようになった気がします。
その結果変に焦ることなく、自分のしたいことに時間をかけて取り組めるようになったので、病気の影響でできないことも悲観的にとらえなくなり些細なことだと感じられるようになりました。

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