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3度のガン経験を経て(舌がん)

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闘病記

▶︎闘病名、年齢、家族構成や状況
私の父は55歳の時に3度のガンになりました。当時、父と母はサラリーマン、私と弟は社会人の4人家族です。
父と母は一緒に住んでおり、私と弟はすでに上京しておりました。

父が最初にガンにかかったのは私たちが小学生の頃、舌癌の中期という宣告でした。
当時は15年以上も前で、抗がん剤なども今に比べると選択肢も少なく副作用がヘビーなものが多かったため、まだ若かった父の髪が抜け、放射線治療の副作用で病室とトイレを行ったりきたりする苦しそうな姿が今でも忘れられません。
そんな父が舌癌を克服し、数年後、2度目にかかったガンは耳下線への腫瘍とリンパ節への腫瘍。このときはリンパから肺への転移が認められて非常に絶望的な気持ちになりましたが、父本人、家族、医療関係者の方々の協力もあり、どうにかリンパ節の一部と僧帽筋の一部を切除し、肺へ転移したガンについては小さかったため経過観察することで一命を取り留めました。
術後の経過は順調で、激減した体重も回復し、穏やかに日常の時間は流れていきました。
ちょうど5年も経ち、家族みんなが父のがんの再発の心配から解放された矢先でした。
父が定期的に通っていた歯科医で、いつもよりも治りの悪い口内炎と顎の頬側にできたできもの(膿が出る)部位を相談しました。
最近食べ物も引っかかって、痛みも増してきた父は、最初の舌癌の時からお世話になっている歯科医の先生に相談したようです。
歯科医の先生は異常な状態を感知し、すぐにいろんな文献や過去の口腔ガンの患者さんの症例などを調べてくれました。歯科医の先生からは近所のがんセンターへ行くように勧められ、肺がんの定期検診で通っていたかかりつけ医の元へ駆け込みました。かかりつけ医の先生からは至急再検査をと言われ、結果を待ちました。
結果は、頬粘膜がんと非常皮性の悪性肉腫。最悪の結果でした。即入院・手術が必要とのこと。
なぜまた父だけがこんなにガンに苦しまなくてはならないのか、頭は真っ白でした。

▶︎お金・保険に関すること
一家の収入は父と母の給与でした。父は役員だったため、一定の傷病手当てなども払われましたし、社宅に住んでいるためほとんどお金もかかっていなかったので、母の収入とそういった諸々の手当て、また生命保険などで入院代の一部などが戻ってきたりするので、特に生活には支障はありませんでした。

▶︎仕事に関すること
父は会社役員で、その会社は父の兄弟は経営していたため、いろいろと便宜を図ってもらえました。父不在時は、別の役員が業務を滞りなく代行してくれたため、そういったストレスは少なかったと思います。

▶︎治療と心境
だいぶ昔の舌癌治療の一つとして放射線治療を受けたことがあったため、放射線治療には一部の制限がかかってしまい、残念ながら対薬物治療と対症療法しか残されておりませんでした。
しかしながれあ部位が非常に悪かったのでしょうか、下顎と下の歯のほとんどをはじめに切除することが求められました。
つまり口から物を食べることをあきらめなければならないことに等しく、クオリティオブライフを考えると非常に残酷な現実でした。
また術後は胃瘻手術も行うことになり、食べることが生きがいだった父のことを考えると、家族としてかける言葉が見当たりませんでした。
それでも生きてほしい、という気持ちだけで手術を受けました。

▶︎予後
2年ほど胃瘻による栄養を摂取し、食事以外では介護なく日常を送っておりました。がしかし、残念ながら反対側の下顎に癌が再発。すでに胃瘻に切り替えてから摂取できるカロリーにも限りがあり、手術を受けるほどの体力も残されておらず、そのまま入院。医師からはすぐにターミナル治療への切り替えを勧められました。そこから半年ほど、最後は耳の近くまで腫瘍が広がり、耳も聞こえず、話すこともできず、意識も戻らないまま息を引き取りました。

▶︎同じ境遇の方にアドバイス
口腔ガンで苦しむ方は全体の割合でも珍しいと聞きます。特に父は体質や遺伝の問題もあったのでしょうか、幾度となく口腔ガンに苦しみました。胃瘻に切り替えてからはあまり長くは生きることはできないのだと、医師から聞いたこともあります。父の最後は壮絶で、見ているだけで涙が止まりませんでした。もし同じ症例で苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、できるだけ苦しみを取り除いてあげることを第一に考えてあげてください。生の尊重とはすなわち死の尊重でもあると思います。生と死は表裏一体であり、絶対的に避けられない我々の定めでもあります。食べることができないというのは想像を絶する苦しみです。父は最後、においを嗅ぐことだけを楽しみにしていました。当たり前に食べられること、それが当たり前じゃなくなるというのは本当に辛いです。また、それを支える家族の苦労も想像以上です。父が少しでも経口摂取できるように、母が毎日流動食をいろいろと工夫して作っていたのもそばで見ていて本当に大変だなと思いました。
口腔ガンといっても様々ですが、できる限り穏やかに日々を過ごせるように、痛みを取り除く治療を優先して取り入れることが大切だと思います。

うれしかったお見舞い品と理由

粒などが入っていないサラサラのジュースです。特に胃瘻でカロリー駅と混ぜて注入できるので喜んでいました。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

胃瘻だったので、経口食はすべてNGでした。

暇つぶしとしてやっていたこととその感想

小説を読んだり、聞いてみたい音楽をipadで注文し、ノイズキャンセリング機能つきのヘッドホンで楽しんでいたようです。

役にたった便利グッズとその理由

とにかくタオル。口から少しだけ飲み物を飲んだ時などに、どうしてもこぼれてしまうので、たくさんタオルがあると便利です。また冷えピタなども、腫瘍のある部位に貼って痛みを少しでも和らげるように使っていました。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

もし父が生きていたら、海外の旅行に行くことを楽しみにしていたと思います。生きてるうちに、いろんなところへ行けるうちに、いろんなことを経験するように、父からは遺言のように子供たちは聞かされていました。なので彼が生きていたら、自分の足でいろんなところを回りたかったと思います。

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