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潰瘍性大腸炎を患って

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プロフィール
お名前:なゆた
出身地:宮崎県
現在の年齢:27
あなたと患者さんの関係:本人
闘病時の年齢:19~
病名:潰瘍性大腸炎

闘病記

19歳の頃、潰瘍性大腸炎を発症しました。
当時高校を卒業し、実家を出て一人暮らしをしながら看護学校に通っていた頃でした。発症前から、お腹に強い痛みと頻回な下痢が見られていたものの、病院に行くことはせず様子を見ていました。
しかしある日ショッピングモールで買い物中、突如激しい腹痛と大量の下血を引き起こし、救急車で搬送されました。診断名は潰瘍性大腸炎。大腸に潰瘍が発生し、下血や腹痛、下痢症状を呈する難病であると医師から説明を受けました。

当時看護学生であった私は、即座に授業内容を思い出しました。原因不明、治療方法なし、食事制限…。
まさかこの歳で難病にかかるとは思ってもみませんでしたが、しかし楽天家であった私は、まぁ何とかなるか、とそこまで深刻には考えてはいませんでした。

しかし実際の生活は思った以上に厳しいものでした。
この病気の最も辛い点は、公共の場での活動が著しく制限される事だと私は思います。状態によりますが、潰瘍性大腸炎の患者は排便がコントロール出来ません。便意を感じてから5分ですら我慢出来ず失禁してしまうのが現実です。私はこれまで何度も失禁してきました。
車を運転中に便意が来て渋滞で店に入れず失禁。友達とショッピングモールに買い物に来て、トイレが混んでいて間に合わず失禁。遊園地や人気の店に並ぶ事も出来なかった時期もあります。特に会社の同僚や友人等、大勢の人達と行動を共にしている時に便意が来た時は頭が真っ白になります。
失禁というそれだけのワードだとどこか面白い印象を与えてしまうのが非常に辛い所です。トイレがない・使えない状況に行く事がとても怖くなります。

内服薬による薬剤治療が始まり、症状は徐々に落ち着きを取り戻していきました。
しかし看護学生であった私は、実習が始まると再び体調を崩し始めました。
潰瘍性大腸炎の悪化の原因は不明でしたが、主にストレスと食生活が有力視されており、またそれとは関係なく、良い状態と悪い状態が交互にやってくるサイクルがあります。病院での実習は非常にストレスが強く、それに比較して私の体調も悪くなっているようでした。
便回数や下血の量も次第に増加し、会話が止まってしまうほどの腹痛に襲われる事もありました。病院で内視鏡検査を受けると大腸全体が血液で真っ赤に染まっており、即入院が決まりました。

入院中は絶食で、それが3ヶ月に渡りました。
首に管を通してそこから栄養を補給し、点滴でステロイドを注射して治療を行いました。入院中最も辛かったのはやはり絶食で、他の患者の食事が心底羨ましかったのを強く覚えています。
スマートフォンで料理やスイーツの記事を探しては、退院したら絶対にここに食べに行くぞと記録していました。しかしある看護師のお陰で、飴を舐めることのみ許可が出ました。その看護師は、私が絶食である事を気にかけてくださり、医師に消化を必要としない飴を食べる許可を取ってくださったのです。
あの時の感動は忘れられません。
それから私は1日に数個飴を舐める事が1番の楽しみになりました。

退院の運びとなりましたが、3ヶ月という入院期間でまだ学生であった私は、一切のお金を持たず、両親に頼るしかありませんでした。しかしかかった医療費はわずか2500円でした。難病患者は市に申請する事で難病手帳が配布され、医療費負担を軽減してもらえます。
これが、莫大な医療費がかかる潰瘍性大腸炎患者の私にとっては非常に助かりました。

それから無事に学校を卒業し、看護師として病院で働き始めました。
職場が医療業界であるため私の病気への理解も得られ、とても働きやすい環境で過ごす事ができました。しかし程なくして再び体調が悪化。入院を余儀なくされました。
入院期間は2ヶ月間。これまであらゆる治療をしてきたのに改善が見られないと、流石に落ち込みました。もう一生治らないんじゃないか、一生オムツをつけての生活になるのか、大腸摘出したほうが楽になれるんじゃないか、色んなことをベッドの上で考えました。
その間休職となり一切給与が出なかった為、足りないお金は両親から援助してもらい生活しました。退院し職場に復帰すると、皆暖かく迎えてくださり、安心して再び働く事ができました。また入院していた分の給与は市に申請する事で傷病手当として振り込まれた為、その後も安心して生活する事が出来ました。

そして現在は良い調子を継続し、看護師として元気に働いています。

▶︎アドバイス

今この病気を患っている人に出来るアドバイスがあるとすれば、まず周囲の人に自分がどんな病気を患っていて、どんな症状があるのかをしっかりと説明する事だと思います。特に仕事においては、他者の協力や理解を得る事が必ず必要になってくるので非常に重要です。次に食生活をしっかりと記録して、調子が悪い時の食事内容を把握し、自分に合った食材を見つける事。私はこれをする事で、ある程度の悪化を防ぐ事が出来るようになりました。
一見すると健常者で何の病気も持っていないように見えるのがこの病気です。しかし潰瘍性大腸炎の患者は今も増え続けており、現在は16万人を超えて千人に一人の割合となりました。難病指定されている疾患で、ここまでの数を誇るものは他にありません。大勢の仲間が存在します。少しの工夫で楽しめる事も数多くあります。
出来ない事を探すことも意味がありますが、是非出来ることにも目を向けて、人生を楽しんで行きましょう。

うれしかったお見舞い品と、その理由

ペットボトルの水 1ダース:病院に飲料水がなく購入しなければならなかった為、助かった
寄せ書き:学校の友人からの気持ちが嬉しかった

病院食のおかずとして用意してよかったもの

暇つぶしとしてやっていたことと、その感想

・小説
色んな本を大量にゆっくり読めた

・映画
時間だけはあったため、映画やドラマをたくさん見た
スマホ。サイト、動画、ゲームと最高の暇つぶしツールだった

役にたった便利グッズと、その理由

・時計
すぐに時間が把握出来る、病院内での仕事の流れが掴める

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

1番の楽しみは食事です。長い期間食事制限をしていて、好きなものでも我慢して食べられなかったため、なんでも食べる事が出来るようになった今に感謝しています。食べ歩きや、長い列に並んで名物を食べられることがとても嬉しいです。食事を友人や家族と美味しく食べている時に、生きてて良かったと感じますね。入院で絶食していた時期もあったので、普通にご飯が食べられることにとても幸せを感じます。特に韓国料理などの辛いものや、唐揚げや天ぷらなどの油っこいものは非常に気を使って食事制限していたので、食べていると幸せです。

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