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多発性硬化症とベガルタ仙台

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闘病記

私が多発性硬化症と診断されたの東日本大震災の前年度。
2010年7月の事でした。
一番最初の起きた症状。
今にして思えば、日本代表戦をスタジアムに観に行った帰り道。
坂道をちょっと早足で下っている時普段ならなんでもないの所で足がもつれて転びそうになりました。
変だなぁ〜とは思いながらも一緒にいた次男は「年取ったなぁ〜」と。
確かなそうかな!と思ったのですがそれが前触れだったのかもしれません。

その後、大きな症状も無かったのですが発症の年は猛暑でした。
多発性硬化症は、暑さに弱く発症してしまったのかもしれません。

始まりは右足の異常でした。
朝、起きがけに布団から立ち上がろうとすると足が硬直して立てなかった。
ベットでは無かったので立ち上がりに転んでしまったのです。
おかしい…と思いながらも仕事には行ってました。
仕事中も机に右足が触れると痛い!
スチールの机の冷たさが痛かったのです。
シャワーも同じく温かいお湯が冷たく痛く感じるのでした。
友人と女子会の時も個室で食事をしていると体が熱くて汗が止まらず。
友人に「暑くない?」と聞くと全然!と言われました。
暑さで気分が悪くなる事も多くなりました。
更年期なのか…とも思ってたからでした。

そのうち、膝折れが出てきたり歩いていると右足が重くてキチンと歩けなくなってしまいました。
勤務先が病院という事もあり顔見知りのナースさんに「足痛いの?しんどそうだから整形受診したら」と言われたのもこの頃でした。
そのうち、排尿、排便の障害も出てきたのでした。
感覚が分からない。
今、排尿しているのか?排便しているのか?
分からなくなってきたのです。
さすがに不安になりましたが何十年か前に腰椎椎間板ヘルニアを患っていたのでそれと同じ症状かも知れない!と整形を受診しました。
私は閉所恐怖症でMRIが大の苦手でした。
その事を医者に話すと腰椎専門病院を紹介されました。
と同時に1ヶ月の自宅療養となってしまいました。
シングルで自宅療養。
不安が更に不安を増して辛かったです。
その当時、沢尻エリカさん主演の1リットルの涙を再放送していました。
症状がとてもよく似ていたので、もしかして同じ病なのでは?と思ったのでした。
紹介された病院でもやはりMRIを撮らないと診断がつかないと言われましたが、MRIの予約まで約1ヶ月後。
しかし自宅療養に入り2〜3日後には左足まで感覚が無くなり歩くのも困難でした。
当時高2と中2の食べ盛りの息子達に食事の用意をしなければならない。
夜の空いたスーパーにカートに寄りかかりながら買い物してました。
MRIの予約を待たずに予約外で受診。
担当の医者は、忙しく診てもらえないかもと言われましたが、たまたま私の歩く姿を見ていた医者が直ぐに診察して下さり即入院の指示が出ました。
急だったので入院は、翌日にしてその日にMRI撮ると勤めている病院に紹介されました。
友人が来てくれて3人で病状説明。
「病院で働いてるし医療事務の資格あるなら聞いたことあると思うけど…。
多発性硬化症という病気かもしれません。難病です。」と言われました。
友人とヤバイね。と落ち込んだ夜でした。

翌日には、勤務先の神経内科を受診しました。
そのまま入院となり当日にルンバールを受けました。
大嫌いなMRIも何箇所も撮りました。
多発性硬化症は、頭から頸椎、胸椎、腰椎と撮影の範囲が広く本当に苦痛でした。
様々な検査をして診断はやはり多発性硬化症でした。
以前は大変な病気という事を知りました。
噺家の林家こん平さんが同じ病気です。
私の勤務先の神経内科には、この病気の専門の先生がいらっしゃる事を知りました。
たまたま車椅子で外来で待っていた時に一緒に仕事したことのある婦長さんに聞かされました。
「だから心配しないで!」と励まされた事を今でも忘れません。
難病なので治ることはありませんが、治療薬ではありませんが病気の進行を遅らせるための薬は多く出てきてます。
私が最初に受けた治療は、パルス療法というステロイドを点滴で投与するものでした。
飲み薬の何倍も濃い点滴を3日間投与しその後ステロイドを服薬するという治療を2クール行いました。
1クールの時に歩けるようになった事が感動的でした。
その後、自己注射の指導を受け3週間の入院生活を終えました。

今は、朝晩の飲み薬で落ち着いてますが夏場の暑さに弱く1年に1度くらい短期間の入院をしパルス療法を受けて通常の生活をしています。
もちろん仕事も続けてますし何よりベガルタ仙台が大好きなので応援にもホームは入院してなければ毎試合行ってます。
私の最高の治療薬は、ベガルタ仙台なのです。
ベガルタ仙台の元選手にも病気になったとき励まして貰いました。
震災の時も、働きながら注射しながら3日間病院に泊まり込みで
避難されてる方のお世話をしてました。
今は、病気ともうまく付き合いなったものは仕方がないと思い日々、前向きにベガルタ仙台を応援する事を生きがいに頑張ってます。

多発性硬化症とベガルタ仙台

うれしかったお見舞い品と理由

知り合いの婦長さんが茹でたてのトウモロコシを持ってきて下さったことが1番嬉しかったです。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

海苔の佃煮、ふりかけ

暇つぶしとしてやっていたこととその感想

スカパー!オンデマンド
Wi-Fiの環境が無かったので課金してしまいましたが…。
テレビ代が高く携帯のテレビを見てたのも原因の1つでした。
今はWi-Fi完備されてるのしテレビと冷蔵庫込みで1日300円なので良い環境になりました。

役にたった便利グッズとその理由

普段はやらないお顔のコロコロとフェイスマスク

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

やはりベガルタ仙台の応援をする事です。
勝てば凄い楽しく嬉しいし
選手の笑顔を見てるだけで幸せです。

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