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闘病記
私は、現在30代専業主婦、2人の子育てに日々奮闘しています。
私の今の1番の楽しみは、子どもたちの成長で、私は今とても幸せなじんせを送れています。
そんな私ですが、先天性胆道閉鎖症という病気で生まれてきました。
先天性の病気ですから、生まれてまもなく発症しました。
発覚したのも、生まれてまもなくです。
私が生まれた産院の助産師さんが私の異変に気づいて下さったそうです。
その助産師さんは、私の命の恩人とも言えるでしょう。
そのまま私は、NICUのある病院へと運ばれていきました。
きっと母は、初めての我が子、期待と不安を抱きながらも、
とても心待ちにしていた事と思います。まさか、病気の子どもがうまれてくるなんて、思っても見なかった事だと思います。
そんな産後の疲労困憊の体の母を襲ってきたのが、我が子が病気であるかもしれないという、不安、その不安は凄まじいものだったと思います。
また、昔は、今の時代とは違い、インターネットなどもありません。
調べようと思っても、簡単に調べる事はできません。
不安の中、情報を得ることもできない、きっと怖かったと思います。
そんな中、私の病名は、やはり、胆道閉鎖症であるということが確定しました。
そうなると、残されたものは、葛西手術を受け、成功することと、肝臓移植を受けるということの2つしかありません。
それをしなければ、確実に死んでしまいます。
私は、そのまままた、大学病院へ転院し、大学病院で葛西手術を受けました。
しかし、結果は思わしくなく、2度目の葛西手術へと、それでも結果は思わしくありませんでした。。。
何度も葛西手術を受けるという方法もありますが、体にメスを入れるということは、その分体にダメージを受けてしまいます。癒着の問題などもあります。
そのため、両親は次の段階の移植へと踏み切ったそうです。
最近では、生体肝移植も主流となってきましたが、私が生まれた当時は、まだ生体肝移植が日本では行われていなかったそうです。
その為、渡米し、ドナーを待ちました。
渡米には、100万200万ではなく、それ以上のかなりの金額がかかったと言っていました。
そして、渡米したからといって、必ずしも助かるとは限りません。
血液型の合うドナーの方が現れてくださる事を、祈りながら待ちます。順番を待っている間に力尽きてしまう方、やっと回って来たときに、体調を崩し、受けることのできなくなってしまった方なども中にはいらっしゃいます。そんな方々を見送っていくということは不安になっていたと思います。
そんな中、ありがたいことに、私は無事にドナーの方があらわれてくださり、移植に成功することができました。
それからというもの、運動にも食事にも制限なく、元気に楽しく 過ごすことができました。幼稚園の頃は、感染症が流行すると、私は幼稚園をお休みしなければならず、悲しい思いをしたり、普通の子だと、入院をしないでいい事をわたしは入院をしなくてはならなくなってしまったりすることも多く、辛い思いもしましたが、結婚することもでき、そして、何と出産をすることもできました。
出産では様々な心配もありましたが、無事に元気な赤ちゃんを産むことができ、私は幸せな日々を暮らしています。この子達の成長が今はとても楽しいです。
今、我が子が私が移植した年齢になりました。こんな小さな我が子が死ぬかもしれない、、
痛い思いをさせてしまう。。と思うと母は辛かっただろうなとおもいます。我が子が健康に元気に育っていることがとてもありがたく感謝をしているとともに、私自身も、これからも、この子たちのためにも、健康には気をつけて、長生きしていきたいと思っています。
これからも感謝の気持ちを忘れずに、過ごしていきたいと思います。
うれしかったお見舞い品と理由
私は、とても幼いころだったので、おもちゃや絵本をいただくことがおおかったそうです。
病院食のおかずとして用意してよかったもの
バニラアイス
暇つぶしとしてやっていたこととその感想
ありません
役にたった便利グッズとその理由
ありません
今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと
我が子の成長が楽しみです。健康に育ってくれていることに感謝の気持ちで過ごしています。
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