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30歳から50歳超まで、20年を超える山あり谷ありの闘病記

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プロフィール
お名前:ようちゃん
出身地:北陸地方
現在の年齢:51歳:
患者さんの年齢:32歳で発病し約20年に渡る闘病中
病名:全身性エリテマトーデス(SLE)

闘病記

▶︎闘病名、年齢、家族構成や状況
私は32歳で結婚し、それから1年も経たないうちに入院し膠原病のひとつの全身性エリテマトーデスと診断されました。現在51歳で、家族は妻と高校生の娘と私の母親との4人暮らしです。

▶︎病気が判明した経緯と心境 または病気を告げられた時の経緯と心境
新婚生活1年目、新しい生活に不慣れなのと結構ハードだった仕事のためにかなりのストレスがたまっていたのだと思います。のどの渇きや足のむくみがひどく体重も著しく増加し、いつもだるさを感じていたような記憶があります。はじめのうちはただ環境の変化のせいだろう位に考え、もっと頑張らないといけないと感じつつも力が入らないというような感じでした。健康診断で尿タンパクの値が要検査(要観察より上の段階)となったため病院に行ったところ、2軒目の病院で腎機能が弱っていると言われ入院治療を勧められました。それまで盲腸の手術くらいしか入院などしたことがなく、あまり重大なこととは思っていなかったように思います。

▶︎お金・保険に関すること
私は会社勤めを始めたころ、会社の昼休みに何人もの生命保険のおばちゃんたちが来て保険に加入するよう勧められましたが、そんなもの必要ないだろうと軽く考えていたためひとつも保険に入っていませんでした。病気になってはじめて、あの時のおばちゃんの言うことを聞いておけばよかったのにと後悔しましたが、時既に遅しでした。ただ母親が生協の保険に入っていてくれ、結婚と同時に妻の名義で引き継いでおりました。それで約6ヶ月の入院期間について、少ない額ではありますが保険金をいただくことができとても助かりました。
高額療養費という日本国の社会保障制度にもたいへん助けていただきました。それと親族や友人の心ある金銭的な援助もほんとうにありがたいものでした。

▶︎仕事に関すること
まず特記すべきなのは、入院中もパソコンを使って仕事をすることができたということです。入院場所と仕事場が近かったのも幸いし、時々外出許可をもらって打合せと納品に行き、ベッドの上で作業してけっこうな収入を得ることができました。
退院後後症状が安定した時期には、普通の会社に勤務したり会社の経営に携わったりやネットショップの運営をしたりすることもできました。

▶︎治療と心境
この病気は全身性ということで、一般的な腎臓病より厄介でしかも私はことごとく副作用に当たってしまう体質のようです。
少しよくなったかと思うと、大腿骨頭壊死症となって歩けなくなったり、ある朝突然息苦しくて呼吸困難になり、心筋梗塞ということで緊急手術をする羽目になったり、薬の副作用からかうつ病になってしまったりと次から次へと困難が降りかかってきました。
そのたびにもうダメだと思ってしまうのですが、家族の支えもあり何とか今日までしのぐことができています。

▶︎予後
数年おきにいろいろな症状が起こってきて、とても予後が良好とは言えません。
つい最近も貧血がかなりひどくなり、新たな治療が加わってしまいました。

▶︎同じ境遇の方にアドバイス
私は治療をはじめて3年後、ステロイド治療の副作用のため大腿骨頭壊死症という別の難病になってしまい、つえをついて歩かなければならず、生まれて間もない娘を抱っこすることができないというさらにつらい状況になってしまいました。人工骨への置換手術しかないと言われ手術の予約を取ったのですが、何とか手術しないで治す方法はないかと一生懸命検索し、加圧リハビリという両方で手術しないで同じ病気を克服したという体験談を発見しました。幸い県内に施術をしてくださるところがあるということだったので、一筋の光に希望を託しこの治療を試してみることとし、手術はキャンセルしました。週2回のペースで約2年ほど通ったと思います。変型や多少の痛みは残っていますが、杖付きから解放され、スキーや登山や水泳も楽しむことができました。
50歳になって元の病の膠原病が悪化し、腎機能の数値が一気に下がってしまいました。それで再び入院することになり、今度は強い免疫抑制剤などを用いた治療をすることになるから、ガンになるリスクは高くなるし、人工透析になることは覚悟しなければならないと言われました。入院が決まってから、また何か別の安全な治療法はないものかと必死に検索し、漢方療法が効果があるかもしれないという情報にたどり着きました。それで入院日の2週間ほど前に主治医の所に行き、近隣の大学病院に漢方診療科があるのでそちらで治療したいということを丁重にお願いしてみました。そんな都合のいい願いなど通るわけなく、おそらく20年近く診てもらってきた主治医から離れて大学病院の漢方治療にかけることになるのだろうと覚悟していたのですが、意外や意外、月に一度その大学病院に行って漢方薬をもらいつつ、現病院に入院しながら経過はその主治医が見てくださるとのこと。きつい西洋医学の治療をせず漢方薬治療で退院することができました。
今でもまだすっかりよくなったわけではなく、西洋式の治療と漢方療法の2本立てで療養して何とかやっております。
これらの経験から私がアドバイスできることは、ただ医者の言うとおりに療法を受けるのではなく、いろいろな情報を調べ自分で納得のいく治療法を選んでいくことをお勧めしたいと思います。

大腿骨頭壊死

うれしかったお見舞い品と、その理由

切り花がうれしかったですね。重苦しい病室に文字通り花が咲いて明るくなります。枯れるまで毎日水を取り替えたり軸を切ったりして心を和ませることができました。
一方で食事制限があったため、食べ物はいただいてもほとんど食べることができませんでした。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

入院食は変に手の込んだ味付けがされいて、においをかいただけで気持ち悪くなりほとんど食べられなくなってしまいました。そこで病院内のコンビニで揚げたてのコロッケを買って食べました。とてもうまかった。

暇つぶしとしてやっていたことと、その感想

最初の入院の時は、ジグソーパズルを買ってベッドの下に置いておき、妻が見舞いに来てくれた時に一緒にやったり、一人で暇つぶしにやったりしました。1000ピース程度のやつを3つ完成させることができました。あとは定番ですが、クロスワードやナンプレの冊子を買ってコツコツと解いていました。
最近の入院の時は、ポイントをためて応募できる無料の塗り絵ゲームなどに結構はまっていました。

役にたった便利グッズと、その理由

やはりパソコンですね。
仕事をしたりゲームや動画の鑑賞やネットトレード、自分史の編纂などをして過ごしました。
家族や会社との連絡にも使えて、とても役に立ちました。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

心筋梗塞になったときにはしばらく心停止したみたいで、まさに九死に一生を得ました。全身性エリテマトーデスと診断が下されたときには、一昔前だったら2人に1人は死んでいたと言われました。ですから、ずっと50歳までは生きられないだろうと思っていましたが、高度な医療および家族の支えがあって50歳を超えることができました。昨年の入院の時以来、登山も水泳もスキーもエアロビもできなくなってしまいました。今は療養に専念して少しよくなったら、無理をしない程度でハイキングや旅行をしたいと思っています。

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