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闘病記
40代の専業主婦です。
一昨年、子宮頸癌と診断され、手術を受けました。最初は胸が張って痛く、乳がんかもしれないと不安になり婦人科を受診。その時の担当医が「いい機会なのでついでに子宮頸癌の検査もしましょう」と言うので検査をしたところ、大きな病院で精密検査を、という流れになり発覚しました。しかもその時の医師からは特に説明もなく、「ちょっと検査でよくない結果が出たので大きな病院に行ってください。紹介状を書きます」としか言われませんでした。
今思うと色々質問すればよかったのですが、その時は「よくない結果」という言葉に頭がパニックになり、ただ頷いたり、「はい」と返事をするくらいしか出来ませんでした。1人では抱えられないくらいの気持ちでしたので仕事中の夫に電話。
仕事を切り上げて帰ってきてくれました。とても支えになりました。実母にも電話しようと思いましたが、心配かけてしまうという思いのほうが強かったため、電話することができませんでした。
ちなみに胸のほうはホルモンバランスの乱れだろうということで一過性のものでした。
当時、子宮頸癌の知識もなにもなく、漠然と「癌なんただ…どうしよう」と頭が真っ白になったことを覚えています。すぐに精密検査を予約して結果が出るまでに1ヶ月。その1ヶ月が本当に長く感じました。私自身も不安なので1日中スマホで病気について調べる日々。大丈夫だろういう気持ちと、やはりよくない症状の人のブログを見てしまったりして余計不安になったりと、精神的にとても不安定な1ヶ月を過ごしました。私よりも夫のほうが参ってしまい、それこそ悲劇の主人公のように落ち込んでいて、「辛いのは私のほうなのに」と腹が立ったくらいです。
落ち込むだけ落ち込んで、少し前向きになってくると次はお金の心配がやってきました。手術にどれくらいかかるのか、どのくらいの期間入院しなければならないのか。そして、娘のこと。当時幼稚園だった娘。生活のほとんどの面倒は私が見ていたので、私がいない間、夫だけで大丈夫だろうか、という心配が1番大きかったように思います。お金のことに関しては、幸い女性特約に加入していたので保険でまかなえました。そして検査結果が前癌状態ということ、手術方法がレーザーを使用する方法で入院も2泊で済むこと、先生が娘のことに配慮してくれ、金曜日の夜手術、日曜日の午後に退院というスケジュールを組んで下さったので、夫に有給を取ってもらう必要もなく、幼稚園も休ませることなく済みました。
手術当日は全身麻酔のため、夫に付き添っていてもらいました。予定時間を少し過ぎても戻ってこなかったので夫は心配したようですが、私は目が覚めたらベッドでしたのであっという間の感覚でした。幸い麻酔で頭痛がしたり気持ち悪くなったりもせず、むしろホワーっとよい気分で目が覚めました。
術後、帰宅してからシャワーのみで入浴は1ヶ月できませんでした。冬の寒い季節だったこと、入浴が大好きな私にとって辛かったですが解禁になった日の湯船の気持ちよさを未だに覚えており、なんということのない幸せを知ることもできました。
帰宅して家事などはいつも通り、無理のない程度で出来ました。ただ、自転車には1ヶ月乗ることができず、幼稚園の送り迎えや買い物など少し不便な思いをしました。買い物は夫の休みの日やネットショップを活用しました。
今現在、術後1年経ちましたが再発もしておらず、半年に1回の検査をしています。
生活も普段と変わらず、気をつけることも変わりありません。
この病気は進行のとても遅い病気です。検査をこまめにかかさなければ助かる確率がぐんと上がります。
術後1年までは3カ月毎、1年からは半年毎、そして1年毎となりますが医師からは一生検査は続けてくださいと言われています。
自分のためにも、家族のためにも一生検査を受け続けようと思います。
うれしかったお見舞い品と理由
チョコレートとアイスコーヒーと文庫本。
食事制限はなかったけれど、1人で売店まで行けなかったので嬉しかったです。
病院食のおかずとして用意してよかったもの
ふりかけ。病院食はやはり薄味なので、制限がなければふりかけやご飯のお供などあると食が進みました。
暇つぶしとしてやっていたこととその感想
文庫本で小説を飲みました。ハードカバーは重く、横になりながら読めなかったので文庫が助かった。あとはスマホでひたすらゲーム。
無料の物だと時間をおかないとできなかったり、広告を見ないとだめだったりするので入院中に有料のRPGのアプリを購入しました。
役にたった便利グッズとその理由
ウェットティッシュ。顔も洗えなかったので顔を拭いたり、体を拭いたり。
今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと
娘の成長が1番楽しみです。もう小学校に上がったので、毎年娘と2人で女子旅をするのが楽しみです!
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