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闘病記
48歳というサラリーマンにとっては働き盛りの時、私は腹腔動脈解離という病気になり約8ヶ月もの間、入院、手術、そして自宅療養を繰り返していました。もちろんその間、仕事はする事が出来ずにいて自分の将来の事、会社での出世レースはもちろん家内、中学1年生(当時)になる長男をこの先も一家の大黒柱としてきちんと養っていけるのかどうか、この上ない不安に襲われていたのです。
その日の午後、私はいつものように会社で仕事をしていました。クライアントとの電話を切った瞬間、みぞおちより少し下のあたりに物凄い激痛が走りました。その痛みと来たら今まで経験した事はなく、言葉が発せないほどのもので私は完全に悶絶状態になりました。激痛のあまり机に伏せていると異変に気が付いた同僚が救急車を手配し、私はそのまま病院に搬送されました。
救急搬送された病院でCT、レントゲンなど一通りの検査を受けた後、医師から告げられた病名は「腹腔動脈解離」というもの。これは動脈が裂けてそこに血液が流れ込むという病気で、かつ腹腔の動脈解離は極めて珍しい症例だとの事でした。私の場合、動脈が裂けた事でさらにそこに血液が溜まり動脈瘤も併発していたのです。さらに不運なことに、私はこの治療のために入院をしている際、腹部血流の悪化が原因で脾臓梗塞にもかかってしまいました。担当医曰く、脾臓ではなく、もし肝臓の梗塞を起こしていれば命に関わったとの事です。腹腔動脈解離の原因は不摂生な日常生活を起因として、ストレスや高血圧によって血管に負担がかかり続けることにあるようです。やはり私の場合もそれまで仕事にがむしゃらに打ち込んで来て、体に無理をさせ続けていた事が大きな原因だったのかもしれません。
この病気にかかった事で私は仕事のキャリアに1つの大きな転換期を迎えました。実は会社からは少し以前から昇進の話を頂いていたのです。支店長のポストを打診されていて、もちろん私はそのお話を有り難く承諾していました。けれども、今回のこの病気です。腹腔動脈解離は血管の劣化による病気ですからいつ他の箇所の血管に同じような事が起こるとも限りません。動脈解離自体、ひとたび大動脈に起こると致死率は70%とも言われています。結局、私の昇進の話はこの病気を契機として白紙になってしまったのです。私は今まで、ただただ出世だけを夢見て仕事に打ち込んで来ました。出世することだけが家族も含め、私の周りの人全てを幸せにしてあげられると信じきっていたのです。けれどもその仕事ために体を酷使した事が原因で幸せへの切符であったはずの昇進を逃してしまったというのは、私にとっては皮肉な事以外なにものでもありません。
腹腔動脈解離の治療は実に8ヶ月にも及んだのです。カテーテルによってステントを入れて解離を起こした血管に血液が回らないようにしました。この治療で腹腔動脈解離は完治するという事、今後の治療は同じような動脈解離が起こらないように予防を中心に進めるという事を主治医から私は説明を受けました。結果的には8ヶ月の入院、自宅療養で復職をする事が出来ましたが、治療中はいつ仕事に復帰ができるのか、また休職する事で我が家の家計は一体どうなってしまうののか、この上ない不安にかられていたものです。
もちろん、我が家も病気をした場合に備えて保険には入っていたんです。一般的な医療保険には入っていたので、入院とその前後の通院に対する保障は医療保険から受ける事が出来ました。医療保険はやっぱり入っておくべきですね。治療費の自己負担分はもちろん、入院中にかかった雑費などの支出はこの医療保険で賄うことが出来て大いに助かりました。
けれども医療保険は入院や通院をしていない、自宅療養の分は保障が受けられません。この部分が正直、家計の面で大いに悩んだ事です。
私の勤めている会社は、病気や怪我で働けない状態が続いた時に所得補償が受けられる保険に福利厚生制度の一環として加入していました。この保険は働けない状態になっている事が保険金支払いの要件です。ですから医療保険とは違い、入院、通院をしていなくても補償はもらえます。ただ、免責期間が1年と比較的長い期間が設定されていました。結果的には8ヶ月で復職が出来ましたので、この保険の恩恵に預かることはなかったのです。結局、保険金が払われる1年もの間、休職してこの保険の恩恵に預かった方が良かったのか、それとも1日でも早く復職できた事が良かったのか、今の私でも判断はつきません。
復職後、やはり私の昇進の話は全くどこかに行ってしまいました。健康状態からすると支店長という要職に会社が私を付ける訳がないので、当然と言えば当然の事と思います。正直、私はこの病気のせいで人生の大きな目標を失ってしまいました。けれどもその代わりに今まで見えていなかった事も見えるようになったと思っています。以前の私は完全に仕事を優先させていたのです。ですから家族とのコミュニケーションというものは本当に二の次でした。でも入院をしていた間も私を支えてくれたのは他でもありません、妻、そして長男なのです。私はこの年齢になって初めて仕事とは家族あってのもの、そして私の人生は家族あってのものと思うようになれたのです。これは病気にならなかったら、ひょっとしたら私は気が付かなかったかもしれません。今では平日は早く仕事から帰宅し、家族と食事を一緒にとったり、休日には家族と同じ時間を過ごすようにしています。改めて家族と時間を共有するようになって人生、生きていて良かったなとつくづくと思っています。病気をした事も長い人生ではプラスになる事もあるんだなと思う事もあります。
どんな病気も大切なのは気の持ちようだと思います。罹患してしまったものは仕方ありません。どんなに悔いても時間を戻すことは出来ないのです。大切なのは気持ちをしっかり持ち治療に専念する事で、新しい自分の未来を切り拓く事ではないでしょうか。私も腹腔動脈解離に罹患して、病気自体は1年足らずで治すことが出来ましたが、一方で約束されていたこれからの人生を失ってしまいました。それでも失うもののあれば得るものもあるものです。会社での出世を失った代わりに家族との貴重な時間を私が取り戻す事が出来たように、目線や考え方を変えれば病気をした事で何か得る事もきっとそこにはあるはずです。人生とは1度しかないもの。どうせなら楽しく人生を送ろうではありませんか。気持ちの持ちようで見える将来も違ってきます。ケ・セラ・セラ。人生はそう簡単には終わりません。
うれしかったお見舞い品と理由
私が入院をしている中、家内が私に工具セットをプレゼントしてくれました。以前からしきりに私が欲しい欲しいと言っていたKTCの工具セットでかなり高額なものです。私が入院をして家計が苦しいにもかかわらず、家内は気丈にも高価な工具を私にプレゼントしてくれたのです。実は私も家内もバイクが共通の趣味で、この工具セットのプレゼントには早く病気を治して一緒にバイクに乗ってツーリングに行こうというメッセージが込められていたのです。その気持ちを汲み取った時、私はこんな病気に負けるわけには行かないと心の底から思いました。
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