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幼稚園の娘の育児中にギランバレーなった闘病生活について

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闘病記

現在53歳、専業主婦をしている者です。わたしは21歳で結婚し、24歳で女の子を出産しました。そして28歳の時にギランバレー症候群になりました。
病気になるまでの自分は、学生の頃はホッケーで国体に出場したり、短距離走も長距離走も常に学校内で1.2.3位になるくらい運動が得意でした。特に大きな病気に罹ったこともなく、健康体でした。
また、家族は、両親と双子の姉がおりますが、家族や親戚でそういった病気になった者もなかったので、今思い返しても、なぜそういった特殊な病気になったのか、分かりません。

28歳になり、娘が幼稚園に通っていたころ、ギランバレー症候群になったのですが、最初から病名がはっきりと分かったわけではなく、最初は下半身に力が入りにくくなり、近くの病院に行きましたが、原因が分かりませんでした。
その後、病状が続くので、大きな病院を紹介してもらいましたが、最初の2つの病院では、ストレスではないですか?と言われました。近畿大学付属病院にも行きましたが、はっきりとしませんでした。その後、泉北病院で診てもらった時に、最初は内科で診てもらったのですが、神経外科かもしれないとのことで同じ病院の神経外科で診てもらったところ、ギランバレー症候群と、ようやく病名が分かりました。

その後は1年半入院しました。
その頃には、下半身の筋肉が全て落ちてしまい、車椅子生活。もう一生車椅子生活になるかもしれないと先生にも言われ、夫からその当時では珍しい『電動の車椅子買ってあげるから。』と言われ涙が出ました。
また、娘がまだ幼稚園な年中さんで、可愛い盛り。夫も、数年前に転職し、弁護士の資格取得に向け、仕事から帰って来ても毎晩夜中の1時2時まで勉強をする、という生活でした。そこで、わたしの母が平日の月曜日から金曜日はわたしの家に泊まり込んでくれ、子供や夫の身の回りの世話をしてくれました。
毎日、娘が幼稚園から帰って来たら娘を連れて病院へお見舞いにも来てくれました。娘も甘えたい時期。わたしのベッドの上に乗って、幼稚園での出来事を話してくれました。

また、母が家で作ったおかずをいつもタッパーに入れて持って来てくれたので、病院の食事の時間には、わたしは病院食の白ご飯とおかず、母のおかずを食べ、病院食のおかずの一部を娘が食べたりしていました。毎日、今日のご飯は何かなー、と娘も運ばれてくる病院食を楽しみにしていました。そして、毎晩、母と娘が帰る時間はとても辛かったです。寂しいと泣く娘、それを見てわたしも胸が苦しくて涙が出て、とても可哀想でした。

6人部屋だったので、周りの方もわたしより年上の方が多く、娘と離れるわたしを見て、いつも優しく声を掛けてくれました。
また、夫も仕事の帰りに病院に寄ってくれました。職場も病院も自宅も全く違う方向で、移動だけでも時間がかかるのに、忙しい中、一年半もほぼ毎日きてくれました。双子の姉も、一人目の子を妊娠中でしたが、車を運転して毎日お見舞いに来てくれました。時には、平日泊まり込む母の代わりに、わたしの家に泊まり込んでくれることもありました。新婚で妊娠中だったのに、とても助けてくれました。わたしの父も、仕事帰りや土日にはお見舞いに来てくれました。平日は母がわたしの家に泊まり込んでくれていたので、父は平日は仕事から帰って来ても1人。土日だけは母が帰っていたのですが、迷惑をかけました。

入院生活は1年半続き、最後らへんにはリハビリを経て自力での歩行も可能になりました。めでたく退院できた時は、とてもとても嬉しかったです。退院し自宅へ帰る途中にデパートに寄り、娘にアニメのサリーちゃんかセーラームーンかのステッキ?を買って帰りました。
その後は後遺症が残ることもなく、日常生活を送ることができるようになりました。

ですが、その3年後、2人目の娘を授かりましたが、妊娠中にウィルソンミキティーという病気に罹り、娘を早期に帝王切開で出産しました。娘は540グラムで生まれ、その後の育児生活はギランバレーのときよりも大変でした。ギランバレーとウィルソンミキティーの関連は分かりませんが、ギランバレーになったときに全ての筋肉や免疫が落ちたことと関係があるのかな、と思ってしまいます。

うれしかったお見舞い品と理由

季節の果物。口や胃の中がリフレッシュしたから。ケーキ。食べる機会がなかったから。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

ごはんですよ。ふりかけ。

暇つぶしとしてやっていたこととその感想

・DVD鑑賞
昔見ていた連続ドラマのDVDを借りて来てもらい見ていました。あまり感動的なものやハラハラするものは気持ちが興奮して見ていてしんどくなりましたが、昔のドラマだったら、以前見ていたのでストーリーも分かっているから、安心して落ち着いて見ることができるし、懐かしくもなりました。

・タティングレース
趣味でタティングレースをしていたので。何を作りたいとかはなかったけど、とにかく時間つぶしに編んでいました。シャトルも小さくて邪魔にならないし、普段の生活ではゆっくりとこういう時間を持つことは久しくなかったので、昔のおさらいから初めて、じっくりと制作していました。あまりストイックに編んでいると目が疲れたり肩がこることもあったのですが、もともと編んでるだけで気持ちが落ち着くので、気休めに編んでいました。

・読書
実家にある昔に買った少女マンガなど。

役にたった便利グッズとその理由

・DVDプレイヤー
時間つぶしになりました。iPad。たまにポコパンなどのゲームをしました。高価なシャンプー、トリートメント、化粧水、ボディソープなど。シャワーを浴びる機会があったので、使用していました。入院する前に、入院生活のリフレッシュになればと思い、普段使ってるものよりも高価なものを用意して持って行きました。ずっと病院の中にいると、外の空気に触れることもあまりなかったので、空気がこもっていて少しいやだったのですが、いい香りのシャンプーなどを使うことで、とてもリフレッシュできました。自分で気持ちを高めることができるアイテムを持って来て良かったです。

その他は、各フロアに1つ冷蔵庫があったのですが、共用なので、自分が冷やしているペットボトルと分かるように、ペットボトルホルダーは役に立ちました。
その他は、小さな卓上の空気清浄機を持って行きました。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

家族仲良く生活できていること。支えてくれた家族たちに感謝の気持ちでいっぱいです。恩返しをしたいと常に思うようになりました。

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