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闘病記
私の父が49歳だった時に急に体に異変が出て倒れた事がありました。
その時は家にいた時に急に倒れたので脳梗塞だとは思ってませんでした。
私と妹と母の4人家族で父が稼ぎ頭だったのでその時は本当に絶望的な気持ちになりました。
その時は母は専業主婦をしていたので本当にどうなってしまうかかなり不安でした。
倒れた瞬間はこれで父が亡くなってしまうかもしれないと本当に衝撃を受けました。
ですが、幸いにしてすぐに病院に運ばれた事でそこまでの事はなく済みました。
ですが、判明して病気が脳梗塞であるというのが分かって驚きました。
なぜなら、脳梗塞という病気は脳血管の疾患というのは知っていたので大変な病気であるのは分かっていたからです。
なので思ったよりはずっと症状が軽いと思ったのは良かったのですが脳梗塞という怖い病気に父がなってしまったという絶望感がすごかったです。
ただ、病院で医者からそのように病名を聞いて脳梗塞で会ったのが分かったのですが幸いにして発券からすぐに点滴をしたおかげですぐに血流が回復したおかげで脳に深刻なダメージが出なくて良かったという事を言われてその点はかなり安堵しました。
最初は脳梗塞と聞いただけでどんな後遺症が出るかと思ったのですが、幸いにして言語の障害も感じないくらいで良かったです。
まさか、脳梗塞になってしまってしかも倒れるくらいだったのでどんな後遺症が出るかと思ったのですが言語障害もほとんどなかったのは良かったです。
ただ、いくら思ったほど症状が重くなかったとはいっても脳梗塞になった事に変わりはなかったのでそれまでやっていた仕事ができない状態になったのはかなり不安がありました。なぜなら、治療期間がある程度必要だったのでその間は仕事が全くできない状況になったからです。
またその間稼ぎがないのでその点でもかなり不安な気持ちになりました。
ですが、脳梗塞による症状が思ったよりは軽かった事もあって仕事が今後できないという事はないと思ったのでその点では安心感はありました。
治療費の心配もあったのですが治療費はまだなんとかなると思えたのでそこまで心配はなかったのですが仕事ができない事によって収入が絶えるのが怖いと思いました。
しかも、いくら思ったよりも症状が軽かったといっても脳梗塞になる前と後で父の様子が変わってしまったというのがあってそこも不安がありました。
以前はもっと頭にキレがあったように感じた父が脳梗塞になったから記憶力も落ちたようになってしまってちょっと変わってしまったというのは感じました。
このために仕事に復帰できても本当に大丈夫だろうかと思ったというのがありました。
また治療を受けている時も父がすっかり弱気になっているのもかなり不安に感じました。
そして幸いにして半年ほどの治療期間で仕事に復帰できたのですがそれでもいきなり前のように働くのはやめた方が良いという事でゆっくりリハビリもしながらの復帰になっていました。
また前とはやはり様子が変わってしまった父を家族が気遣うようになりました。
一見して前とあまり変わりがないように見えた父でしたが、やはりどこか病気になる前と違っていたので家族みんなでサポートするようになりました。
そのおかげで父もどこか心が救われているように思えたので、もし家族に同じように脳梗塞になってしまった人が出た時は温かい目でしっかり応援してあげる姿勢が大事だと思います。
なぜなら、脳梗塞になった家族は口ではそこまで不安な事を言いませんがかなり不安になっているので家族でしっかりサポートしてあげるのが大事だと思ったからです。それで脳梗塞になって以前と違っている事があってもそこまで気落ちしないで元気に過ごしてもらえます。
うれしかったお見舞い品と理由
野球が好きだったので野球選手のグッズをお見舞いの品として持っていったのが良かったです。
病院食のおかずとして用意してよかったもの
病院食の味が薄くて不満だったらしくて家から好きな魚の煮つけを持っていったら喜んでました。
暇つぶしとしてやっていたこととその感想
病院でやる事がなく本を読んで時間をつぶしていたようでした。
役にたった便利グッズとその理由
暑がりだったので冷房の効きが弱い病院で涼しさを感じるために冷えピタを使っていたようですが、それでかなり気分が良かったようです。
今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと
家族の支えがあった事で病気でハンデがあっても頑張って生きていこうと思うようになり、また
家族と1年に1回は旅行に行くのが楽しみのようです。
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