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余命1年と言われた祖父(肺がん)

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プロフィール
お名前:みぃ
出身地:兵庫県
現在の年齢:26歳
患者さんが闘病された時期の年齢と、その時期のあなたの年齢:祖父65歳、私25歳
病名:肺がん

闘病記

祖父は65歳の時に肺癌と診断されました。
子供や孫が多かった祖父ですが、皆自立し、賑やかだった家は祖母との2人暮らしでした。
何年か前から肺が痛いと、病院に通っていたのですが、その時はまだ癌であることがわからず、なんと診断されたのか分かりませんが、薬の副作用か身体中パンパンに浮腫んでいて、通っている病院もあまり評判のいい病院ではなかったので、おかしいのではないか?病院を変えた方がいいのでは?と家族でも言っていたのですが、訳あって当時生活保護を受けていた祖父は「1度通ってしまった病院を変えるのに役所に行って手続きをしないといけないからめんどくさい」と、そのまま通い続けていました。
それから肺の痛みも、浮腫も良くなることはなく、1年程経った頃、レントゲンで肺に小さい影があると、先生に言われたそうなのですが、「気にする程のものでもないからまた1か月後に来て」といわれたそうなのですが、お医者さんが何気なく言った「気にする程のものでもない」という言葉で、祖父も安心してしまい、検査に行かなかったのです。
その何日か後に息ができない程の痛みで救急車で大きな病院に運ばれ、肺癌であることが判明しました。
その時はまだ家族も本人も詳しく知らなかったので抗がん剤治療で良くなるのもだと思っていたのです。
幸い祖父は生活保護を受けていたので、保険なども入ってなかったですが、治療費の心配はしなくてよかったのですが、それからどんどん悪化していく一方で、家族も悪化するまで状況が分かってなかったのですが、肺癌と診断されてからしばらくしてから、祖母と娘達だけ呼ばれ、祖父は肺気腫、肺癌、肺炎、後もう1つ肺の病気が重なっていて、更に肺癌はステージ4で余命は1年だろうと、いう説明だったそうです。
ですが、この時半年後に迫っていた私の妹の結婚式を祖父はすごく楽しみにしていて、妹は四国に嫁いでしまって、結婚式もそちらでだったのですが、絶対に行きたい!と言っていたのでこの事は祖父には言わないでおこうと、みんなで決めました。
最初は抗がん剤治療も効いていて、「辛いけど結婚式のために頑張るんだ!」と言って少しでも体力をつけるために散歩までして、本当にすごく楽しみにしていたのが分かりました。
そして結婚式直前も肺炎を起こして入院していたのですが、なんとか結婚式までに治して、結婚式に行く事ができました。
車で3時間ちょっとという長旅にも耐え、次の日は金比羅山にも少し登り、ご飯もあまり食べれないと言っていたのに、ご飯も沢山食べて、四国名物のうどんも食べて、本当に年内に死んでしまうんだろうか?と思わせるぐらい元気でした。
私達もこのまま良くなるのではないかと、心のどこかで思っていたのです。
ですが、この日から6日後容体が急変し、また入院する事になりました。
また肺炎になったんだろうと、すぐに退院するんだろうと思い、母達も入院した事を私達に連絡してくれなかったのですが、入院して10日後にたまたま祖母に連絡したら祖父が入院している事を知って、すぐにお見舞いに行きました。
すると抗がん剤が効かなくなっていて、癌が大きくなってきているからと、血流を抑えていたらしく、まるで別人かのように上半身だけパンパンに膨れ上がっていたのです。
もちろん、顔もすごく腫れていて、声も変わっていたので、本当に誰かわかりませんでした。
そこから本当の闘病の始まりだったのかも知れません。
夜中に痛みと苦しみで暴れ出し、痛み止めをいれても効かず、息も出来ないくらい痰も絡み、食事も取れない程でした。そして入院してから20日後急に後3日が山だろうと言われ、そこで初めて家族全員が祖父の現状を聞かされたのです。
癌の進行が進んでおり、骨髄、血液、心臓にまで転移していて、肺に関しては空気を取り込める場所が本当に僅かなスペースしかなかったのです。
そして、抗がん剤も効かず、放射線もダメで、後はモルヒネを入れて息を引き取るのを待つしかない。との事でした。
もちろんその事は祖父には言えず、まだまだやりたい事があるんだ。と頑張るんだ。と効きもしない抗がん剤治療を楽しみにしていました。
そのおかげか、山だと言われてから1週間ちょっと、最後はモルヒネも効かず、本当に苦しかっただろうに、頑張ってくれました。
それもみんなが休みで、集まれる日まで頑張ってくれたので最後の時を祖母や子供達、孫達、そしてひ孫に見守られながら息を引き取りました。
死顔はすごく苦しかったはずなのに、穏やかで、笑っているようにも見えました。
優しくて、いつも笑っていた祖父。
本当に本当にお疲れ様でした。
最後に、肺癌で亡くなる方は多いみたいで、祖父は最初肺が痛いとか、息がし辛いと言っていたので、思い当たる方は是非1度癌の検査をしてみた方がいいと思います。
そして余命1年と言われた祖父ですが、9ヶ月と余命より少し早く亡くなってしまったので、余命より長く生きる方もいれば早く亡くなってしまう事もあるので、いつ、どうなっても悔いのないように、出来るだけ会いに行ってあげて、声をかけてあげてください。

うれしかったお見舞い品と、その理由

写真ですね。
家族みんなの写真を切り取ってコルクボードに貼り付けたのをプレゼントしたのですが、
母や叔母達の子供の頃の写真とかも貼ったので、懐かしいとすごく喜んでました。

病院食のおかずとして用意してよかったもの

プリンやゼリーが食べやすかったみたいです。

暇つぶしとしてやっていたことと、その感想

スマホアプリのテトリスをしていました。
ですが手の浮腫のせいでうまく出来ずイライラしてましたが。

役にたった便利グッズと、その理由

最後はオムツですかね。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

もうすぐ2人目の子供が産まれるので、どんな顔なのか、すごく楽しみです。
上の子もお腹をさすってくれたり、キスをしてくれたりしてるので、これから産まれてくる子の面倒もよく見てくれるのではないかと、上の子の成長もすごく楽しみで仕方ありません。
それと同時に赤ちゃん返りをしていて少し大変な事もありますが、今のうちにしか集中して可愛がってあげれないと思うので、精一杯可愛がろうと思います。
祖父にも赤ちゃんを抱っこして欲しかったですが、きっと見守ってくれていると願います。

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