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闘病記
結果から申しますと肺がんではありませんでしたが、生検を行う前で肺がんを前提に治療方針を決めていくことになった経験談になります。
2018年2月の健康診断にて肺に異常陰影ありと診断。総合病院にてCT検査を受けた結果、左肺に約6cmほどのスリガラス陰影ありとなりました。この時点ではがんの可能性は低いとのことでした。肺炎の一種の可能性が高いので様子を見ましょうとのことで5月まで月に1回ペースでCT検査を受けました。3回目のCT撮影でスリガラス陰影が一回り大きくなっていました。カメラの検査が怖くPETーCT検査を先に行った結果、反応がありがんの可能性が非常に高くなったと言われ外科にまわされました。外科の先生はこれがガンなら第2期まで進んでいるサイズと説明を受けました。カメラを行っても100%の結果は出ないため、これだけ大きい腫瘍らしきものがあるなら、手術をして直接確認したほうがいいと言われました。手術時の説明では第2期左下肺葉のがんの可能性が95%と言われました。なるべく早く手術をしたほうがいいとのことで2ヶ月もしない内に手術を行うことが決定しました。2018年8月15日。手術日が決まりました。
2月の健康診断から8月の手術までの間に裏では別の事も起こっていました。当時、お付き合いをさせて頂いていた女性の妊娠が判明しました。妊娠の判明とがんの可能性の告知がほぼ同時でした。彼女にすべてを相談した結果、一緒に治療していこうと言ってもらえました。手術前には入籍したいと双方の意見があり、両家両親にも相談の結果、手術前に入籍を行いました。
私は絶対に治すと誓いました。
8月15日の午前に手術が始まりました。手術室はすごく近代的で驚いた事を覚えています。台に寝かされて背中に非常に痛みを伴う注射を行いました。その後恐らく左手の針から眠くなる薬を入れますよと言われ、数秒ほどで意識が遠のいたのが最後でした。
気がつくと呼吸ができなくて非常に苦しい時間が続きました。私がなぜか今何時ですかなどと聞いたりしていました。甲子園の結果などを教えてもらいましたが、その時の私の苦しさは尋常ではなかったのでどうでもいい情報だったのを昨日のように覚えています。
その後2日間はICUで過ごしました。2日目になって通常病棟に移されましたが、その時はまだ息苦しさが残っていました。
3日目になるとおかゆを少し食べられるようになり、立ったり座ったりするリハビリが始まりました。
4日目に突然元気になりました。空腹を覚えコンビニの惣菜をお願いして食べたりしました。
5日目になりまだ胸に刺さった管を抜くという作業がありました。少しばかり痛かったですが、これで移動が楽になったのを覚えています。
手術後1週間では自由に歩き回るまでには回復しましたが、それまでに呼吸リハビリを自主的に行ったり、リハビリ室で酸素を計りながら運動をしたりなど大変な時期でした。
1週間が経過したのちに、切り取った肺の写真と病理診断結果が届きました。なんとガンではなかったのです。あまりのうれしさに妻と泣いて喜びました。ただ肺炎だとしたら間質性肺炎という恐ろしい病気の可能性がないわけでもないとのことでしたので、数ヶ月に1度のペースで病院に訪れないといけないとのことでした。ちなみに変死していた細胞部分は直径10cmにも渡りかなり大きなものでした。
9日目に外出許可が出て、近くのスーパーまで歩いてみましたが、途中きつくなり引き返してきました。
11日目には退院となり入院生活から卒業することになりました。
その後、会社に復帰するまでは1ヶ月半かかりましたが手術後の痛みに悩みながらも、なんとか生活していけています。
そして12月には待望の第一子が産まれました。
妻とこどもの為にも、身体を第一に考えながら家庭を築いていこうと思っています。
うれしかったお見舞い品と理由
単純に現金がうれしかったです。保険に入っていなかったので、入院、手術、生活費に悩んでいました。
病院食のおかずとして用意してよかったもの
用意はしませんでした。病院内にコンビニがあったので助かりました。
暇つぶしとしてやっていたこととその感想
huluが月額1000円ほどだったので利用していました。
シャドウバース。傷の痛みを紛らわすのに最適でした。
役にたった便利グッズとその理由
抱き枕とクッション。
手術後胸の痛みが激しかったので持ってきてもらいました。
氷枕。身体が熱をもっていたので気持ちよかったです。
今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと
子どもの成長と妻と計画している新婚旅行です。
色々あって新婚旅行は行けませんでしたが今は計画を立てているところです。
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