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私の海外闘病記〜医者を訪ねて三千里〜(橋本病による甲状腺機能亢進症)

プロフィール
お名前:H.Y
出身地:出身は大阪府堺市です。世界遺産に登録された百舌鳥古墳群の直ぐ側で生まれ育ちました。
現在の年齢:43歳で橋本病と診断され47歳の現在も治療中です。
病名:橋本病による甲状腺機能亢進症です。

闘病記

私が橋本病と診断されたのは43歳の時でした。
その2年程前から異常に疲れやすく暑がりになり、冬場でも汗をびっしょりかいて夜中に目が覚めるほどでした。
それに動悸が激しく不整脈まででるようになりました。
私は20代で国際結婚し北アフリカの某国に移住するまで看護師として働いていました。
なので大した知識もないのに、自分の病気を自己診断しようとする悪い癖があります。
多汗、動悸の症状を「ちょっと早い更年期障害かな?」と思ってしまったのです。
とても危険な自己判断な上に誤診です(笑)
今振り返ると、その頃もうすでにホルモン異常で正常な判断ができなくなっていたのだと思います。
というのも、3人いる子どもの名前をまともに呼べなくなっていたからです。
例えば長女を呼ぼうとしたら長男の名前が口から出てくるんです。
次男を呼んだつもりが長女を呼んでいたり、、、
いわゆるホルモン異常による脳機能障害に陥っていたのです。

43歳を過ぎた頃、気分は絶不調でした。
数年前から続く体調不良で家事はおろか、子ども達とコミュニケーションを取ることすら辛くなっていました。
当然夫とも喧嘩することが増えました。
その日も体調が悪いのを気遣ってくれない夫に不満が爆発して大喧嘩。
あわや離婚の危機か?と思ったその時、ふっと鏡をみたのです。
そしてビックリしました。
「首が腫れてる!? 目が真っ赤になってる!?」
喧嘩は強制終了。
夫や子ども達に
「首が腫れてる?腫れてる?」
と何度も聞いて
「うん、腫れてるよ」
と言われてあ〜どうしよう~と動物園の虎のようにグルグル歩きまわる私。
日本だったらそんな時〇〇相談センターなどに電話すれば、親切丁寧に病院を紹介してくれるはず。
そうでなくてもネットで検索すれば良さげな医療機関が沢山ヒットするでしょう。
でもここは北アフリカの某国。
医者をネットで検索ってなんですか?というお国柄。
行き着く先は電話でまず義両親にご報告です。
そこで「あれだけ早く医者に行きなさいと言ったでしょ〜う」
と有り難くもやけにノンビリと義母に説教され、ようやく受診する決心がつきました。
ここまで読んでくださった方は
「どうしてもっと早くに受診しなかったの?」
と思われることでしょうから、私の住む某国の医療事情を少しお話したいと思います。
私の住む北アフリカの某国は、世界的にとても有名な古代遺跡がある観光国です。(もうお分かりですね)
医療事情を箇条書きにすると、、、
•地域の病院ネットワークがありません
•医療保険や生命保険がありません
•収入に対して医療費が異常に高いです(3日肺炎で入院すると月収が消えます)
•薬は自費で薬局から購入します。
近年の物価高騰で値段が3倍になりました。
•腕のいい医者が非常に少ないうえに受診料も高く、更に予約が取れません
•医者による誤診、誤投薬が当たり前のようにあり、それが元で更に病気になったり亡くなる人が後をたちません。
それで医者が訴えられたり逮捕されるケースはほぼゼロです。

因みにそんな国の病院に入院した場合どんな状況かというと、、、
(有名な私立病院です)
•病気に常駐している医者はほぼいません。
→入院患者の担当医は病院に勤めているのではなく、個人でクリニックを経営している開業医です。
運が良ければ1日1回5分程様子をみに来ます。
適当な薬を処方したあとは、殆ど電話にも出ずほぼ放置されます。
これは緊急入院している命が危ない人でも同じです。
そもそも高度救命救急センターが無いので日本であれば助かる命も「仕方がないよね」の一言で助かりません。
•まともにケアしてくれる看護師が居ません。
→看護師は医者が指示した薬や点滴を時間毎に投薬しに来ます。(因みに水も自分で買います)
チップ(お金)を渡して頼まないと検温にも滅多に来ません。
当然清拭や洗髪やシャワーもありません。
手術後の様子も滅多に見に来ません。

一般的に海外の医療費の高さは有名ですが、それでも最低限の治療はしてくれるはず。
居住国の病院は病気を治す所とはとても言えません。
そして言葉に表せないほど不潔です。

、、、、これらは「ほんの」一部です。これでどうして私が病院に行きたくなかったか、お分かり頂けたでしょうか?
話を戻します。
夫と喧嘩していて偶然首筋の腫れに気づいた私は「甲状腺機能亢進症だ!もしかしたら甲状腺癌かも!!??」
と思いました。
一気に血の気が引いて頭の中に色んな考えが浮かびました。
「甲状腺癌だと転移は遅いはず、リンパ節は腫れてないからまだ大丈夫」
「いや、リンパ腫が腫れていなくても浸潤型なら危ないかも(無知)」
「離婚して帰国しようかな」
「でも子どもたちは?」
「実母が橋本病だからきっと遺伝なんだ」
「どうやってまともな医者を見付けよう??」
最後のどうやってまともな医者を見つけるか?が実際とても困難で、とても時間が掛かりました。
義理の家族が必死であちらこちらに電話して探し回ってくれたお陰で、10日後にやっと信頼出来そうな内分泌科医を見付ける事が出来ました。
そしていざ予約を、、、予約が取れない、、、予約が取れない!?
あっさりと「次の予約は3ヶ月後です」と言われて絶句。
その頃は安静時心拍数が130(通常の2倍)あり不整脈と動作時の息切れで、運が悪ければ心不全を起こしても不思議ではない状態でした。
今の今まで楽観的だったのに急に不安が押し寄せてきました。
子ども達も不安気だし、主人も流石にことの深刻さに気付いたのか(少しは)労ってくれるようになりました。
その後必死の賄賂工作!?でなんとか1週間後の予約をとった私は、念願の「まともな」治療を受けるのに成功したのでした。
血液検査と超音波エコーの結果、難病橋本病の甲状腺機能亢進期と診断されました。
自己免疫異常で破壊された甲状腺から血中に溢れ出た甲状腺ホルモン値が通常の100倍もありました。
もちろん抗甲状腺ホルモン値も高く、甲状腺抗体もしっかり検出され、この先一生橋本病と付き合っていくことが確定した瞬間でした。
インデラル(心拍数を調整する薬)を1日3回。
カルビマゾール(甲状腺機能を抑える薬)をなんと1日に18錠飲む生活が始まりました。
その後3カ月毎に血液検査を受け、徐々に薬の量を減らし4年たった今ではカルビマゾールを1日2回1錠ずつ内服しながら経過観察をしています。
と順調にいったわけではありません。
通常内服治療を開始した時は、2週間後、1ヶ月後と血液検査を受けてカルビマゾールの量を微調整しなければいけません。
しかしここは某国。
血液検査が非常に高額なのです。
海外移住してからずっと専業主婦だった私は「血液検査を受けたい」と言えなかったのです。
本当に馬鹿ですね。
結果どうなったかと言うと、カルビマゾールを飲みすぎて甲状腺機能低下症になり合併症が一気に出てしまいました。
斜視による視力低下
軽度の眼球突出(今はおさまっています)
極度の甲状腺機能低下の症状(顔面蒼白、体重増加、顔面浮腫、呂律困難、歩行困難、徐脈)が現れました。
機能低下は末期症状でした。
後日検査して甲状腺ホルモン値がほぼゼロになっていたのを見た時は、本気で間に合ってよかったと思いました。
鏡を見て自分で自分に死相が出てるよと話しかける経験はもうしたくないです。
海外移住する前は2つの職場を掛け持ちし、寝る間も惜しんで働きました。
海外移住して馴れない環境で言葉も分からないうちに子どもが生まれ、必死に日常生活をこなして気の休まる日がありませんでした。
残念なことに夫も激務で助けを求めることも出来ませんでした。
もともと俺様気質の人で仕事がなくても家庭を顧みない状態でしたし。
私はありとあらゆるストレスを自分に溜め込んだ結果、橋本病を発症してしまったのだと思います。
看護師としての知識がありながらこんな有様です。
「医者の不養生」とはよく言ったものです。
昔の人は本当にセンスがありますね。
そして昔の人はこうも言っています。
「一病息災」
「雨降って地固まる」
私は橋本病を発症したことで家族に我慢を強いる生活を続けてきました。
不毛な喧嘩も沢山してしまいました。
健康状態は今でも不安定です。
でも橋本病を発症したからこそ出来たことも沢山あります。
一番の収穫は今までの自分の人生を振り返り、これからどうしていくべきかを考えるいい機会になったことです。
今までの生活スタイルの見直し
子ども達への接し方
母としてどうあるべきか
妻としてどうあるべきか
家族を維持していくのに何が欠け  ているのか
夫に家長として協力してもらうにはどうすればいいのか
日本語を話さない相手に伝わるように感情を表現するには、どうすればいいのか
などを何度も何度も考えました。
そして発症から3年たって病状が落ち着いて来た頃、やっと前向きに気持ちを切り替えることが出来るようになりました。
人間は本当に弱いものです。
健康な時は気が付かないけれど、病気になれば実感します。
そして同時に助け合い、支え合い、感謝し合うことが、どれだけ大事でどれだけ力を与えてくれるのかを実感します。
そして同じ様に病気で苦しむ人達に心から寄り添えるようになります。
私は病気になってから、自分が日本人であることに幸せを感じるようになりました。
それは何故かというと日本という国がとても優しい国だと気付けたからです。
日本が誇る高度医療は長年その分野に携わってきた人達の努力と労力と誠意と善意で成り立っていると、遅まきながら気付いたからです。
医療だけではありません。
その他全てのシステムの影にそれを支える為に真面目に働く人達が必ずいると確信したからです。
日本という国は素晴らしい。
完璧とは言えなくても、そこに住まう人達の心根は今も昔も優しいままだと思います。
私はそんな日本の高度医療の恩恵にあずかることは、多分一生ないでしょう。
でもこれからもずっと生まれ故郷である日本を愛し続けると思います。

うれしかったお見舞い品と、その理由

義母がよくご飯を差し入れしてくれたり、気晴らしに外食に連れ出してくれたりしてとても助かりました。

 病院食のおかずとして用意してよかったもの

居住国の入院中の悲惨さは前述したとおりで、まともな病院食は期待できません。
義母が入院中に助かった食材はプリンやちょっ小腹が減ったときに食べれるお菓子です。
おかずであったらいいなと思ったのは新鮮なサラダでしょうか?

暇つぶしとしてやっていたことと、その感想

自宅療養中に助かったのは、ネット小説です。
日本語の雑誌が手に入らないのでキンドルで読めるものを手当たりしだいに読みました。
視力が悪くなった後は延々と猫や犬のユーチューブ動画をみていました。
こちらではNetflixやAmazonのサービスが使えないので、、、

役にたった便利グッズと、その理由

役に立った便利グッズはやはりスマホとキンドルです。
瞬時に外界にアクセス出来て退屈しませんでした。

今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと

実はこれはもう既に半分叶えてしまったんですが、好きなユーチューバーさんに一時帰国したときにお会いして保護猫ちゃんたちを見せてもらいました。
あと料理系ユーチューバーさんのご家族が経営しているお店に行って食べてきました。
今は自分なりに働ける場所を見付けて、いろんな方と繋がりを持てるのがとても嬉しいです。
今の夢は自分の収入で近所の野良猫を保護すること。
そして他の憧れのユーチューバーさんに会いに行くことです。

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