出身地:奈良県
現在の年齢:43歳
患者さんの年齢:本人・闘病時年齢35歳
病名:網膜剥離
Contents
闘病記
▶︎闘病名、年齢、家族構成や状況
私はとある製造工場で作業員として勤務しています。今からおよそ7年前の35歳のとき、突然両目の網膜剥離に襲われました。家族構成は妻と2人の男の子を含めたとの4人家族です。
▶︎病気が判明した経緯と心境 または病気を告げられた時の経緯と心境
ある日、突然視界が通常とは明らかに異なる状態になりました。どのような状態かというと、見える範囲が明らかに狭くなってしまっていて、さらに血が浮いているような状態でした。それでも一時的なものなのだろうかと思い数日そのままにしていましたが、一向にもとに戻らないため、これはおかしいと感じたためある日、会社の帰り際に最寄り駅の眼科で診察をしてもらいました。その時は別の病名を告げられて目薬を処方されたのですが、念のためという事で自宅の近所にある総合病院を紹介されました。そしてその総合病院で診察を受けた際にはじめて網膜剥離だと判明したのです。しかも視界がおかしいのは左目だけだったので、左目だけが網膜はふりをしていると思っていましたが、診察の結果は両目に網膜剥離が発生していました。診察をしてくださった医師からはすぐに手術をしないと網膜が固まってしまって戻らなくなると言われ、大阪にある眼科の専門病院の紹介状を書いてもらい、すぐに行くこと人塩ました。病名を告げられたときの心境はとにかくショックだったのと、当時子供が小さいという事もあって、入院している間の生活がとても心配になりました。
▶︎お金・保険に関すること
お金は当時、私の給料だけだったので長期的に勤務できないことを懸念しましたが、幸いにも有休が40日もあり、入院期間もおよそ2週間という事もあって治療中は有給休暇を消化するという配慮をしてもらうことができました。保険についてはすぐに保険会社に電話したところ、保険の対象ないという事だったのですぐに保険金の支払いをするために必要な書類を送付してもらうとともに、社会保険による治療費限度額の適用もできたため、こちらの手続きもすぐに済ませました。したがってお金や保険に関しての心配はかなり早い段階で解消しています。
▶︎仕事に関すること
会社に病気と治療の件を報告すると、ゆっくり治療に専念してくださいと言ってもらうことができました。治療中、特に心配ごともなく治療に専念できたのにはこの言葉をかけてもらったことがとても大きかったと今では感じています。
▶︎治療と心境
治療に関しては検査をしてその日のうちにすぐ手術という状況だったので、心の準備をする間もなく手術を受けたという感じです。近所の総合病院が紹介してくれたところという事もあったのかもわかりませんが、とにかく執刀する医師にすべて身を委ねるという気持ちでした。あとから調べてみて知ったのですが、執刀してもらった医師は眼科の分野においてはそれなりに名の知れた名医だったようです。
目に麻酔をかけられたため、手術中に痛みを感じることは 一切ありませんし、視界もふさがれている状態だったので何をされているかも全く見えませんでしたが、実は手術は目の部分の局部麻酔だけで行ったため、正直それが一番怖かったです。先生たちの話も丸聞こえだったため、手術中に先生方が「あれ?」とかおっしゃったときは不安で仕方ありませんでした。とはいえ手術は無事に終了し、術後はしばらく安静にした後でうどんを頂きました。
そして、この網膜剥離の治療で最も辛かったのが実は手術後でした。手術の際に目の中にある硝子体を抜き取って、その代わりにシリコンオイルを注入するのですが、それが安定するまでうつぶせの状態でずっと過ごさなければならず、体勢的にとてもしんどかったです。
また入院中は目を使うことが一切できません。ですからテレビを見るなんて言うのはもってのほかですし、本を読むことも携帯電話を見ることもできません。病院内に何か特別な施設があるという訳でもなかったので、ひたすらiPodで音楽を聴いたりラジオを聞いて過ごしていました。この何も出来ないというのが精神的にとてもしんどく、変な考え事をしてしまう事もあったのか、入院中はほぼまともに睡眠をとることができなかったことをよく覚えています。
▶︎予後
網膜剥離イコール失明というイメージがあったので、治療を受ける前は自分の目がどうなってしまうのだろうという不安は正直ありました。しかし手術によって若干左目の視野は狭まったものの、ものの見え方に関してはそれほど違和感があるという訳ではありません。とはいえやはり完全に元に戻ったという訳ではなく、視界が狭まった以外にも目の中に入れたシリコンオイルの影響か、目の中に常に透明の小さな泡が浮いている状況ですし、ピント調節もできないため特に近くの小さなものを見るときに苦労します。
▶︎同じ境遇の方にアドバイス
もう舞う剥離だとわかったら、とにかく早めに病院へ行って診察してもらうようにしてください。私ももう少し遅ければ網膜が復元できなかったかもしれないと居終われました。もっと早めに治療を受けていれば、今よりももっと視界が良好な状態まで治療できたのかもしれません。
うれしかったお見舞い品と、その理由
大好きな漫画の最新刊を買ってきてもらったときです。実は本もあまり良くはないのですが、目を動かさないように注意してコッソリ読んでいました。とても良い気分転換になったのをよく覚えています。
病院食のおかずとして用意してよかったもの
特にありません。食事に関しては特にこだわりもなかったので出されたものをそのまま食べていました。入院期間がもっと長ければ何か要望も出てくるのかもしれません。
暇つぶしとしてやっていたことと、その感想
念のために持っていったiPodが唯一の暇つぶしになっていました。とにかく目が使えないので、耳で音楽を楽しむしかない状況でした。
役にたった便利グッズと、その理由
便利グッズもiPodくらいしか思い浮かばないです。特に目の不自由以外は不便なところが無かったので目が自由に使えないこと以外では不満はありませんでした。
今1番楽しみにしていること、生きていてよかったと思えるようなこと
やはり網膜剥離になる前と同じようにものを見ることができるというのが改めてありがたいことだなと実感しています。もし治療ができない状態だったとしたら、ほとんど見えていない状況でずっと過ごさなければいけないのかと思うとゾッとします。あの状態が永久に治らないのであれば、おそらく今の仕事を続けることができないでしょうし、テレビを見るのにも、大好きなゲームをするのにも、近所に出かけるのにさえもとても苦労することになっていたでしょう。
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